『リトルバスターズ!』 発売に寄せて epilogue

 

笹瀬川派あおい

 

 ひとつここで問いかけてみよう。
 永遠に続く覚めない「夢」は、不幸なできごとなのだろうか?
 ひとは必ず、「現実」に生きなければならないのだろうか?
 ならば、その「現実」とは何だろう?
 親がいることか? 恋人がいることか? 友達がいることか? 仲間がいることか? つまりは自分ではない他者がそこにいることか?
 他人に承認されることが自分であり、そこが現実と呼べる空間なのだろうか?
 では「夢」とはなんだろう?
 「夢」はつじつまがあわない記憶の断片なのだろうか?
 ではつじつまがあえば、それは「夢」ではなくなるのだろうか?
 いくら整合性があっても、それは過去に終わった話の繰り返しだから「夢」なのだろうか?
 「夢」は記憶の再生である限り、新たに作り出すものは何もないのだろうか?
 たとえ新しいものが生まれていたとしても、「夢」は一人で見るものだから、所詮「夢」でしかないのか?
 じゃあ、大勢で同じ「夢」を見ることは、ないのだろうか?
 もしあったとしたら、それは「夢」のままでいられるのだろうか?
 あなたは、それでは、今、「夢」を見ていないと証明できるだろうか?
 「夢」は、本当は終わってみなければ、「夢」とはわからないものではないだろうか?
 では、あなたの「現実」は、本当に永遠に終わらないものだろうか??

 

 知る人ぞ知る、「リトルバスターズ!」とは、真実は虚構世界の「夢」の話だったのだと、最後に明かされてしまった。だから、主人公は「現実」に帰還した。そこは、仲間の多くを失ってしまった、過酷な場所だった。ベッドに横たわり、傍らには唯一生き残った女の友達が座っている。それは、主人公にとって不本意なラストシーンだったのだろうか。そして、それを見守るあなたたちにとっても、望まれぬ結果となったのだろうか。
 「リトルバスターズ!」は、けれども明らかにこの瞬間を迎えるための話だった。恭介の用意したミッションは、残された二人だけの「現実」を受け入れさせるための、周到に用意された奇跡の時間だった。「現実」とは、「夢」に対置されたものであり、逆もまた真だ。どちらに価値があるとか、どちらを受け入れるべきという規範もない。ただ、もし、そこに違いがあったとしたら、「夢」はいつか終わってしまうものだから、だから、そこにとどまっていることが許されず、いつまでも執着し続けることが認められないのだ。恭介が言いたかったのはそういうことだ。彼の「夢」は、同じ時間を何度でも繰り返すことによって延伸されるモラトリアムにすぎなかった。彼の「現実」時間は既に停止していて、その先の時間はもう与えられていなかったからだ。もう全てが終わっている時間だからだ。終わり続ける時間なのだ。しかし、直枝理樹は生きていて、まだ、たくさんのその先の時間をもっている。それはほかならぬ彼のための時間だが、その時間はまだ終わらぬ「夢」の中でみんなと共有できないものなのだろうか? 世界を作り出し、みんながそこで生きられる新たな時間を望んだとしたら・・・それは否定されるべき悲しい成り行きだといえるのだろうか。まだ終わらぬ「夢」の奇跡というものがもしも存在したとしたら、そこに既に終わってしまった魂達の安らぎの場所が、見出せないものなのだろうか。
 直枝理樹 には、両親が存在しない。彼の帰還を待つ人はわずかだろう。そしておそらくは、鈴も・・・
 それは考えてはいけないインモラルな「夢」なのだろうか? 悲しい結末なのだろうか?
 だってあんなに幸せだったじゃないか? ずっとこの時間が続けばいいと、思っていたんじゃなかったか?
 えいえんへのまねきは、悪魔的な崇高さと甘美さに彩られている。誰しもが覗き見ねばすまない、ラストシーンになるだろう。そして、棗恭介にとっての大いなる誤算だった。既に、選択は恭介の目論見を超えていく。

 『リトルバスターズ!』Refrainを選択し、「リトルバスターズ!」の章が感動の終焉を迎えると、悪夢の修学旅行シーンに帰還する。主人公はすぐにでも逃げなくては助からない。だから、傍らの少女と支えあいながら、懸命に逃げる。後ろを振り向かずに‥これが、この選択こそがリアル(現実)だったはずだ。その結果、突然主人公を襲ったナルコレプシーから目を覚ますと、鈴がさびしげに傍らで腰掛けていた。自分は病院のベッドに横たわっていた。確かに、二人は助かったのだ。だが、多くの友を一度に失ってしまった。あの時、確かに強く生きることを約束したはずだったのに、その肝心な約束の相手がもういない。果たして、本当に、この過酷な現実世界の中で、幸せだったあの日々にかわるリアルな幸福を、棗鈴とこれから一緒にさがせるだろうか。もしもこれが「ゲーム」だとしたら、これでいいんだと「僕」は笑って受け入れていられるのだろうか。それは果たして強さなんだろうか・・・
 「これでいい」「よくない」 ・・・二者択一。
 悪魔の選択肢をつきつけられた主人公は、こんな現実はやっぱりいやだ! 受け入れられない! と叫ぶ。その瞬間、あのバスからの脱出も、今こうしてベッドに横たわっている自分も、恭介の夢の中でのシミュレーションだったというストーリーに転化する。ストーリーのこの巧妙さには舌を巻く。「大丈夫、鈴の気持ちは変わらない。現実でもお前ならうまくやれるさ」
 もし、現実を受け入れる選択をしていたら、それはそのまま現実となる。「じゃあな、がんばれよ」恭介が去ってゆき、そのまま終わる。
 どっちが正解か? ということではないのだろう。ここで現実に帰還して『リトルバスターズ!』を終えれば、それがTRUE EDだ。現実に戻らず、まだ「夢」にとどまろうとすれば、確かに、虚構時間はまだ続く。煩悶した後に、あなたの直枝理樹は、結局、「みんながいない世界なんてNOだ!」と、叫んだのではないだろうか。むろん、僕の理樹もそうだったのだ。だから、お話はepilogueへと続くことになるのだが、ここで恭介は念を押して言った。「けれど、世界はもうないぜ」と。凍りつくような事実をつきつけた言葉だ。現実を拒否した主人公には、もう、行くべき世界はないと言っている。理樹は、それでも「世界は鈴と二人で作る」と言い切るが、「世界」を作るとは「夢」の続きを自ら生み出すという宣言に等しい。恭介の作った「夢」は、同じ一学期の時間を繰り返し繰り返しすごすだけの「夢」だった。彼のリアルな時間は既に終わっていて、世界はその先へは決して伸びてはいけないからだ。だから、今となっては世界はもう、ない。ところが、理樹はその先の「夢」を望んだ。そして、悪夢の修学旅行のその先へと延びていく新しい世界を、鈴と共同して作っていくんだと宣言したのだ。そうすれば、またみんな一緒にいられるじゃないか。それが、本当の選択だろう? という問いかけ。もはや、恭介の思惑を超えて、新しい理樹の「リトルバスターズ」が生まれようとしている。もう一度思い返してみれば、『リトルバスターズ!』とは、恭介にずっと手を引かれていた少年が、自分の弱さを克服して逆に恭介の手を引き始めるまでの、そしてみんなの手を全て率いるようになるための、頼もしい成長の物語であったとも言えるだろう。だから、直枝理樹は、恭介の望む未来のその先に、なお、彼の予期しなかった世界を新たに作り上げたのだ。


 もう一度ハッピーエンド派の方には断っておきたい。
 これは紛れもなくハッピーエンドだと僕も思う。
 ただし、個人にとって終わってしまった時間は取り戻せない。
 「死」は厳然たる事実であり、助かる道はなかった。
 そもそも「夢」は、「死の事実」なくして始まらなかったのだから。
 だから、「時」は巻き戻せない。
 恭介は確かに、わずかな時間を巻き戻す抜け道を見つけた。
 しかし、その結果を残すには、自ら「死」を選ぶより方法はなかった。
 その結果、理樹と鈴は助かった。だから今、このときを選べる。
 つまり、恭介はリアルな世界でもう死んでいる。
 残存する「夢」の中で今も恭介と語り合っているにすぎない。
 けれども恭介の「夢」はこの瞬間までだ。先はない。
 もしも、直枝理樹と棗鈴がリアル(現実)に戻らずに「夢の世界」を未来に向かって新たに作りなおせれば、失った全ての魂を回収して、またあえる。友と暮らした日々を取り戻せる。何もかも、今までどおりだ。
 彼らの時間はまだ終わってはいないのだから、その先の「夢」を望むことができる。
 だから、主人公は、爆発の前にバス一台分の生徒全員を救い出す、「夢」に帰る。
 鈴と一緒に。
 鈴の「スズ」の音が波紋を作り、広がり、遠くへ届き、ある意識に到達する。
 意識間共鳴によって、恭介たちのときと同じように新しい「世界」が生まれる。
 そして、「爆発」という、恭介やみんなにとっての「死」=「夢の開始点」=「夢の終了点」を自らの「夢」の中で突破(サルベージ)する。
 ミッションに成功したとき、そこには、「修学旅行」後のクラスメートの顔があるはずだ・・・・。
 「夢」をかなえてくれる、ある意識の人もそこにはいるだろう。
 何もかも元通りだといえるが、ただし、すでに起こってしまった「現実」とは異なる世界になるわけで。
 もしもその「現実」と対置すれば、それは「夢」と呼ばれるかもしれない。
 でも、それじゃあ、最初の議論に戻るわけなんだが。
 はたして、どっちが直枝理樹にとってのリアルなんだ?
 「夢」と「現実」は決してまじわることのない別の世界だが、どちらがどっちと区別することはできないんだと、美魚は言っていた気がする。
 つまりは・・・・そういうことだ。
 epilogueは理樹と鈴が共同して作り出した「夢」の世界への帰還に他ならないが、それは決して同じ時間を繰り返す不完全な永遠とはことなり、いつかは終わるかもしれないけれどもずっとずっと未来までも伸びていける、みんなの存在する世界になるのだ。そして、これが、『リトルバスターズ!』のepilogueになるのだけれども、また元に戻って、修学旅行前の時間をやり直すこともできる。もし、来ヶ谷さんとの恋愛ルートに入ることができたら、今度こそは彼女と、愛し合えるかもしれない。そういう選択ができるかもしれない。彼女は覚えていてくれるだろうか? そのときは、はたして「神」とのラストエピソードになるのだろうか。
 余談だが、epilogueでは、来ヶ谷さんは修学旅行のことを決して語らない。その話をすると寂しそうな顔をしてどこかへいってしまう。なぜなら、彼女はバスに乗っていなかったからだ。この学校の生徒ではない彼女は、事故そのものを知らない。だから語らないし、語れない。軽い怪我をしたことにして、さりげなくまた、クラスメートのふりをしているわけなんだが、ではなぜまた来ヶ谷さんはここにいるのか?
 やはりそれは、究極には本人の言うとおり、来ヶ谷唯湖の夢の中なんだってことだろうね。

 

2007.8.11

 

 

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