第1話 ようこそIN公園通り
何のアテもない少女二人がそれぞれシンガーと女優になりたくて「とりあえず東京へ。」ようことサキのふくらむ夢が満開に散り乱れる第一話は、確実に視る者を物語の中にすいこむ。既にミュージカルとしてのテンポが確立されているあたりがすごく、この設定上の試みは同時に二人の少女の夢への『挑戦』に通じるものがある。とりあえず可能性に向けて果敢に立ち向かってゆこうとするこわいもの知らずの勢いというものに圧倒され、感銘を受けるのだ。まさしくここに通底する主動力は、ひたすらに「ようこそようこ」ならではのノリであろう。何か新しいことを始めようとするときのわくわくするような期待と興奮がここにはあるのだ。
紹介の仕方の良し悪しは別として、当ストーリーにおいて、既にメインとなるキャストはあらかた登場してしまうのもすごい。仮免のムササビ・ムーが当初蒸気機関車とともに目立っていたが、そこへコートを羽織った家出少女サキが、いきなり勝手に突っ走った会話で参入。「私、女優になるの。東京へ行って!」…この一方的なセリフにそのままついていってしまう、ようこのノリの良さも只者ではなかったわけで、そのまま二人は意気投合して「とりあえずTOKYO」へ乗り込んでしまうのだ。渋谷の町で自在に飛んで跳ねて「めだっちゃう」少女達のはつらつとした笑顔と行動がすがすがしく、よーこはとにかくとしてサキちゃんとしては珍しい、かなりアクティブで大胆なシーンといえる。なにせこの一話こそが最も夢や希望にいきり立つ回であるわけだが、そこへ「ほっきょん」との偶然的めぐりあいによって、「アイドル」という全く未知のキーワードが、ようこに提示されるのだ。さらには渋長、豊、亮、原田と行った面々が次々と現れた末に、「かつての夢追い人達が新たにこの街へ迷いこんできた少女達の夢にこれから付き合おうとする」このドラマの構造を明らかにする。つまり、全
く何もアテは無くてもただ若さと可能性だけで押し切り、スターとしての未来を切り開こうとするその大胆さと純粋さに何気なく引き摺られる形で、渋谷のあらゆる面々がこの企てに参画するという、このドラマの基本的人間関係を明示しているのだ。物語の動力源は、ただひたすらにようこの持つ太陽エネルギー(ソーラーパワー)に尽きる!! その輝ける魅力に納得し、同感し、渋谷の一大イベントに参加を表明できる人のみが、以後のストーリーについてゆくことができるのだ。わかってくれる人は、たくさん居るだろう……。
とはいえ、家出少女は居る、わけわかんない誇大妄想癖の娘は居る、やくざは出てくる、アダルトビデオ会社にはひっかかる、町中で喧嘩はする、無免許の少年は車で走り回る、公園のベンチで野宿はする……というような、反社会的で不健康で教育上間違った影響を与える恐れのある舞台設定は、かなりのきわものである。果たしてこんなの少年少女に見せていーんだろうか? という反応もあるかもしれないが、しかしこのネアカなアナーキズムこそが実は最高に面白く魅力的なのだ。うん。よーこもサキも頑張れ!
第2話 歌声はバイエルで
「夢でおなかはふくれない」というわけで、名刺貰ったプロダクションへ乱入するよーこ達。「お出掛けですか?」「レレレのレ〜」「はっきり言ってポンキッキ」の久美子さんは楽しくてコワイお姉さん。社長さんとの関係はビミョーな男と女。
お金なら銀行にある! てなわけで暗証番号ポンポンポン、で、札束ザクザクのよーこ。渋谷の一等地にお部屋はあっという間に用意され、よーこ「あなたって、どーゆー人?」サキはでも、一歩一歩自分の力でスターになりたいと言い、ようこもこれに賛成。全くのゼロから自力で第一歩を踏み出す少女達。未来に向かってジャンプ!…この、爽快さ。わかります?
……てなわけで、今回は「渋谷のアリス」についてのお話だ。この「アリス」というお店、まさしくよーこやサキのような娘のためにあるスナックなんだそーで、売れない作曲家のサクさん、売れない漫画家兼人生相談のアシさん、更に渋長や、アイスター社長や、果てにはあのスーパーアイドルほっきょんさんまでもが常連客なのだ。他人に干渉しない店と言うわりには、みんなとりあえず知り合いであったりする。いかんせん、その素性や過去を問わないといった意味なのね。で、このお店にきてバイエルを歌ったことにより、ようこ達の未来はほんの少しだけ開けたのかもしれない。あの、アイスターの社長さんがなんとなくやる気を見せてくれたみたいなのだ。所属プロダクションが決まった……というそれだけのことでも、今のようこ達には限り無い進歩という感じである。早い話、渋谷の街のふきだまりのお店「ARISU」で彼女達が何をつかんだのか、皆がどんな夢を見たのか、ということが肝心なのだよね。
第3話 すてきなロフト
「今日から屋根つき!」そーそー、ようことサキの住家が決まったんだよね。おもちゃの倉庫の二階なんだけど、それでも二人の夢のお城だ。で、そこで知り合ったおもちゃのメンドーを見ているオモさんが、今回のゲスト。彼がずっと趣味で作り続けているアイスクリームはとってもデリーシャスで、久美子さんが今まで食べた十五万九千個のアイスよりも、サキの食べた五万五千個のアイスよりも美味!!。はからずもそれは、ようこの食べた生まれて初めてのアイスクリームだったわけで、機械から溢れ出したピンクのお菓子はロフトのシャッターを開け、渋谷の町中へと流れだす。特別のフレーバーに魅かれて、たくさんの人が集まり、無料サービスのアイスクリームが大盤振舞だ!
この荒唐無稽の展開に、ついて行けるかどうか……は別にして、しかしこの豪快なまでのミュージカルな盛り上がり方はただごとではない。どんどんどんどんピンクのアイスが街を侵略し、そしてようことサキの歌声があふれかえるアイスクリームのデリシャスな味わいを賛美する。このノリ、この軽快なステップ、このハッピーな気分……は、絶対に文字では伝えられない。だから「ようこ」なのだ。見てくれなくてはわからない、アイスクリームの味わいなのだ。いつかそこに子供達の集まるアイスクリームショップができることを夢見ることの素晴らしさよ! 夢は、かなえるためにある。老いも若きも、未来を夢見る人に変わりはない。だから、勇気を出して歌おうよ、今度は君自身の夢のために………というわけ。夢を語るということは、いくつになったって涙が出るくらいに感動的な行為なのだ。
第4話 トマトの朝は歌声で
「よっきゅん」の良さっていうのはね、ストリート・ミュージックなんだよ。太陽の香りサンサンとした曲。渋谷の公園で彼女は、元気に軽いステップを踏みながらいつも歌っている。この街に居れば彼女の歌声が聞こえてくるんだってことが……とんでもなく嬉しかったりするんだよね。歌は心。ようこのハートに触れられるこの街が、この公園が、僕達の舞台なんだ。そういうこと。気の向いたときにいつだってどこだって最高に気持ち良く歌える彼女を、愛してしまっている。ハートごと、歌声で抱き締められたい……。
太陽になれる娘の為に、ずっと拒み続けていたサクさんが、曲を作ってくれる。促成栽培ではない、太陽の光サンサンと浴びた完熟トマトなんだって所が、ミソなんだ。人の手が加わらなくても、彼女は自身の光で輝いている。公園で歌っていたって、最高の歌声で周りの生き物の心を暖かさで満たすことができる。この点が、ようこのただものではない素晴らしさだってこと。だからみんなが、彼女のために何かしてあげたくなっちゃう。彼女を通じて、それぞれが自分の夢をもかなえていく。この発展的な展開がドラマツルギーを満たしているんだ。ようこ、スゴイ!!
淡々と、日常の中で歌っているこのあたりの姿が私は一番好きなんですヨ。最もようこらしいと思う。そこには演出なんて無いんだよね。ラストシーンだって、ただ何気無くストンと決まってしまう。でも、そこに漂う余韻ていうのは、ほとんどただごとじゃあないんだ。完全にやられちゃってるんだよネ。あの笑顔に……そう、サクさんだって、あの娘の太陽の笑顔が眼前にちらついて頭を振っていた。(わかるな〜。)渋長とてしかり。もうよっきゅんは、この街のこの公園の夢追い人達のアイドルなんだ。うん。
早朝ジョギングで始まり、又早朝ジョギングで終わる構成は、パーフェクト!。結びの場面の紐付きのムーに、完成されたドラマを見ます。感動せよ、少年少女達。
第5話 真夜中のライブ
ライブハウスのギンギンなノリ。明滅するそのステージの上に、ようこは夕べの泥棒さんの姿を見つけ、そして微笑む。「これって、いいみたい!」…あっという間にハードロック(という設定だよね)に順応してしまうことで、彼女の音楽性にいかなる変化が生じるのか……なんて話では実はない。ようこはようこで変わりはしない。ただ、本物を彼女はいつだって求めているってことで、贋作絵画の奪取の為に一芝居うつというわけ。しかし成り行きとはいえ強引な展開である。ついでに社長や豊さん亮さんまでグルだってのが結構とんでもなかったりして。とんでもないついでに、なんとヤクザの親分が刑事に化けちまう! 笑いごっちゃねーよ、登録ナンバー893。パトカーどうしたんだ!
こみ入った話の設定はとりあえずどーでも良いのだ。クロードとようこのライブステージが結構いける。(よーこはただ踊っているだけなんだけど)こーいうハゲシイのもたまにはいーかもしれない。ついでにサキちゃんも、一般的な女の子の例に洩れずすっかり熱が上がっちゃって舞い上がっている。日頃おとなしい少女が、案外こういう場所でキレちゃうんだよね。フフフ… (できればギンギンのサキちゃんも見てみたかった気がする私)
ちなみにサキちゃんの好物がメロンパンであることが証明された回でもある。
第6話 響け!心のバイオリン
世界的に有名な名バイオリニスト、ガーニン氏来日。だが、選ばれた人達だけが聞くことのできる特別に誂えられたステージだけが音楽の全てでは……無いかもしれない。ガーニンはこれ又厳しいオヤジで、用意された高級ホールの演奏会に音響効果の点でさんざんけちをつけ怒りだしてしまうのだが、ようこはこともあろうかそんな彼に対し、陳腐な街の楽団の弦楽三重奏をホテルに乗り込んでいって聞かせようとする。ようこにとって音楽に貴賤は無い。心から演奏をしたがっている人のために、力を尽くす。ただそれだけ。クラシック喫茶の存亡を賭けたカルテットに、「求む!バイオリニスト」なのである。
今回すごくいいのは、ガーニンの主観的回想シーンですね。ビルの谷間で弦の音を奏でる街の楽団の姿と、それを取り巻く通りすがりの人々。そのシチュエーションに出会った時、彼の意識は遥か昔の母国の街角へ飛ぶ。街頭でもくもくと演奏する、とあるバイオリニスト。その姿を一心に見詰めている少年ガーニン。彼がバイオリンに始めて出会った時代、そこで聞いたのは紛れもない、今、彼が目前にしているのと同じ、ストリートミュージックではなかったか?「こういう音楽もあることを、私は忘れていた。」少年時代の己の、音楽を見詰める瞳に出会ったことで、氏は決意する。この街の楽団と、カルテットを組むことを……。
ゾロゾロと喫茶店のリサイタル会場へ移動する、歓迎レセプション参加の人々。その中になぜか居ちゃう「ほっきょん」さんが、これまた可愛い。あいも変わらずよーこに攪乱される胸の内。不幸と言うよりはコメディね。素直にようこの存在を認められない彼女の心中を、どうかお察しください。
それにしても「ようこそようこ」って、必要以上の事は描かずにキメてしまうスタンスに好感が持てると思う。エピソードを三十分に収めてしまうテクニック……ってだけではないですね。省略法が、十分それ自体効果となっているのが嬉しいです。(たまに失敗するけど)それは、十分な感動と余韻を生むんです。ハイ! たまにはものしずかなクラシックの夕べをどうぞ。
第7話 さびしがりやの町のかみさま
ようこは公園でレッスン。サキは歩道橋でおめめウルウル。豊は女の子とデートで、亮はバイクで走ってる。渋長は街の見回りで、ほっきょんは歌い、社長はただウロウロと……。それぞれがバラバラにすごす日常に、渋谷の街の脈動を感じる。しかし、この街がなくなってしまうのだとしたら、ここを拠り所としている人達の生活は、夢は、どうなるのか?
人々の慌ただしい動きと喧騒の谷間で、誰にもかまってもらえなくなっていじけた街の神様が、渋谷を捨てようとしている。しかし、ようこはそんな寂しがり屋の彼の気持ちを汲み取り、歌うのだ。この街が大好きだから……。止まった時の中で自在に空を駆け、渋谷の街をめぐり歩く神様とのデートシーンが圧巻です。よーこって、どうしてこんなに楽しそうな笑顔ができるんだろうネ。喜び溢れる二人の秘密の逢引……信じられないことが真実になる、この街の魅力に酔って下さい。テーマは、「あなたはこの渋谷の街が好きですか?」
私はそうでもないんですが、女の子に人気のある本エピソード。きっとこの小さな神様との自由自在な可愛いデートの場面がお気に入りなのだと思うのです。確かに、ようこちゃんと一日渋谷じゅうをデートして歩けたら最高! だろうね。うう、腕組んで歩きたいゾ。……等と思う私も、神様と同じくキットまだ子供なんですヨ。(そして、あなたも!)
第8話 すてきなハンズロフト
朝シャンジャンケン、新聞氏のバスローブ、お日様全開、おもちゃの段ボールにプチプチ、ファンターステイック、ブンブンブン、クレジットカードの束、十六円の貯金、アルバイト探し!…等々、Aパート頭のようことサキのかけあいのテンポは最高! 特にサキさんがいい味出している。虫眼鏡でようこの肌に張り付いた新聞紙を眺めるあたりが、何とも言えない……あうう。
ようことサキのお部屋大公開!! の回なのだが、実はこの二人、なーんにも無い生活をしていたのである。それでも朝のシャンプーはあるし、段ボール箱のベッドにプチプチのお布団もある。お日様サンサン浴びれば今日も元気! なのだ。というわけで二人は街の中へアルバイトに出掛けて行く。えてしてこの手の番組というのはキャラクターの生活基盤などはなっから無視して話を進めるものなのだが、家出少女二人が渋谷の街で生きて行くには、実際それなりの努力と工夫が必要だ。地に足がついたところから描いて行こうとするこうしたエピソードの存在が、「ようこそようこ」の偉い部分である。ゴミ捨て場から持ってきた古い家財道具で手作りハンズを造り上げてしまうところは、もはや嘘を越えたところの嘘。完成した素晴らしいお部屋を眺めながら、けれどもようこだったら本当にやりかねないなと思わせるあたりが凄い。だから、きっとこれからだってどんな夢も彼女達は実現してしまうに違いない。オモさんのアイスクリームショップだって、ブロードウェイの大スターだって、多分現実のものになるんだ! 不可能なことなんて、ここには何も無い。可能性だけが無限に開けているんだ
っていう雰囲気作りこそが、「ようこそようこ」の生命線なんですヨ。
しかし今回はつくづく、ほっきょんも狂ったキャラクターだったと実感。故郷の幼馴染みのへーちゃんと逢引する場面なんて微笑ましいのに、あの過剰なまでのよーこ嫌いは、もはや病気としか思えない。私としては、是非ともこれからのへーちゃんとの関係を追及したいところである。
第9話 すてきなカンちがい
デルモ志望の花梨さん登場!! ようこやサキと同じ「ベンチ仲間」の彼女は、やはり夢を追ってこの街へやってきた渋谷のアリスなわけです。で、デルモになる、デルモになると言いながら、もうまっしぐらにファッションデザイナーへの道を突き進んでいってしまう辺りが、なんだか妙に可笑しい。もともと笑いを狙ったキャラクターだってのは分かるんだけど、本人があまりに真剣そのものなので、とても笑うわけにもゆくまい。とりあえず本人の希望とは裏腹にデザイナーとしての才能だけは確かなものなのだ。故に、子供服のデザインとコーディネートに関しては、動きやすくて丈夫でファッショナブルな服を目指す花梨のコンセプトが最大限に生かされる。だから、モデル養成スクールの学費を稼ぐのが目的だとしたって、今はデザイナー見習いの世界へ飛び込んでゆくのが彼女にとっての幸せなのである。何が「すてきな」勘違いなのか知らないが、とにかくいずれ花梨が、「カン違い」に気付くのを待たねばならない……。もし気付かなかったとしても、一流のファッションデザイナーは自らのデザイン作品を身に付けて表舞台に立てる機会があるはずである。従ってはからずも彼女の夢はいつ
の日にか達成されることだろう。やる気とバイタリティーと体力で勝負する花梨さんの未来に期待したい。
(だからね、いずれようことサキの舞台衣装を花梨がデザインするようになるであろうという伏線なんだと思うよね、フツー。そこまで描き切れなかったのは、惜しいですヨ。)
第10話 ようこそ湯ートピア
ロフトのシャワーがぶち壊れたため、ようことサキはお風呂屋さんへ出掛けて行くのだ。「ようこそ、湯ートピア」のサブタイトルを聞いた時からごっつう期待はしていたが、お風呂シーンがとりあえずいっぱい有って私は嬉しく思う。特にサキさんの乙女のはじらいのシーンなんてぇ、あの真っ赤になるお顔が、もうとんでもなくかわゆいゾ。アヒ〜!(福太郎氏の叫び)ほっきょんがサインしている前へようことサキが浴衣で現れる場面なんかも、最高ネ。風呂上がりの乙女の浴衣姿は、やっぱ永遠の男のロマンなんではありませんことか? 石鹸の香りがしそうである。
全般的に非常に良く動く回で、作画も美しい。特に女性キャラクターへの描き込みには、なみなみならぬ気迫と執念を感じる。おふろの力は偉大であるな……などとさり気なく思うのである。湯船の中にお願い事をしながらお金を投げ込んでみたり(トレビの泉?)、クレーンの鉄球が飛び込んできたりの前半部が、カット繋ぎにも工夫が見られ、冒頭の漏水のドタバタと加えて見所十分。後半は地上げ屋とマーメイドバスハウスの戦いへと転じるが、よっきゅんの無敵バイタリティーで危機は回避。(お風呂屋さんのサービスって何だよ!)彼女の強さと怒りを感じさせる脚本は、案外珍しいかもしれない。結局、渋谷の街に温泉が吹き出したことで事態は収拾に向かうが、どうせならば一大レジャーパークの構想の中に健康ランドとしてお風呂屋さんを組み込んでおけば、はじめからこうももめずに済んだのに、と思う。
まぁ、何にしてもこの回は、よっきゅんのエピソードの中でもいちおし! したい私であります。(べ、別にヌードが嬉しいわけでは……)
第11話 スペイン坂の雨
夜のベイ・エリアで静かに微笑み合い、マティーニを飲む。そんな大人の愛に憧れるサキちゃんは、「早く30才になりたい」と、のたまう! なーんて勿体ないことを言う娘なんでしょうね。若さは命よ!!…というわけで今回は、「大人の愛」がテーマ。そしてスポットが当たるのは、気になる関係の社長さんと久美子さんなのだ。しかしながらお上品で優しいとはとても言えぬこの二人に、サキ絶句。まだ、サキにはわからないんじゃないかな、大人同士の本当の恋の姿って。(おほほほ、私にもわからん。)とにかく! 本舞台においては、久美子さんの役どころが最高においしい。10年前の雨の日に知り合ったかつての恋人、ミッキーが、ブロードウェイで成功をおさめて渋谷へ帰ってくる。ずっと忘れ得なかった久美子を、妻に迎えるために……。果たして、彼女はミッキーとともにニューヨークへ行ってしまうのだろうか?!
スペイン坂に雨がしとどに降っている。久美子は、コートを着て立っている。待ち合わせの夜10時。ミッキーが階段を下りてくる。「さあ、行こうか。」けれども……久美子さんは、やっぱり一緒に行けないのだ。10年という歳月は彼女には長すぎた。渋谷の街には彼女を必要としている人達が今や、たくさん居る。そして社長さんも。いいかげんでだらしなくて、何を考えているのかまるでわからない男だけど(ようこにそう言われちゃあ、終りだネ)、彼は間違い無く久美子の存在を必要としているのだ。
別れられない…。
スペイン坂の雨は、過去にサヨナラをした乙女の涙なのだ。少女時代の恋に自ら終止符を打った、一人の女の心の涙。どうしようもないくらいに優しい彼女の本当の心情に、切ないまでの共感を覚えて泣いてほしい。こんないい女は、そうヤスヤスと居るものではあるまい。
「男運の悪い、いい女」という役回りは、まさしく島津冴子の独壇場。そして社長がこうも久美子さんに素直になれない理由は、32話で明らかにされる。今のままの危うい恋人達のバランス関係に理解を示す、ようこもなかなか偉い!。ひょっとしたら彼女も10年後に同じような恋をするような気がしてならないのは、私だけでしょうか。
第12話 魔女は月の夜に
普通「魔女」と言うと、どういうイメージを持つものだろうか?。こないだも「魔女の宅急便」なんてアニメがあったところで、その怖いイメージというのはだんだん薄れつつある。サキにせよ頭に浮かぶのは、ほうきに乗った魔女っ子サキちゃんだし(こーれがかわいいんだよなァ)、ようこの場合は湖のほとりで竪琴をつまびくニンフを連想。なかなか「ヘンゼルとグレーテル」に出て来るようなおどろおどろしい人食い魔女を想像す人は今時居ないかも知れません。しかし、女優キリコさんの役作りは、この手の魔女。もしこれがうまくいかないと田舎へ帰って見合いをさせられるか、若しくは自発的首吊りへの道が待っているのです。何がなんでも恐ろしいイメージを身に付けなきゃぁ!
……というわけで、ようこ達は渋谷の街へ出て魔女としての修行を積む。派手なメーキャップと場はずれな衣装で練り歩くためサキちゃんはさすがに恥ずかしそうにしているんだが、ようこの方はもう、ノリノリの全開!! 「魔女魔女音頭」に至っては、バリエーションのすごさにただ感心の一言。まぁ何だね。このミュージカルの為だけに本作品は存在すると言ってもいい。「魔女の歌」は結構FANの間でも人気が高いのだ。(ようこの粉飾も可愛かったしね。)
しかしながら舞台の役どころが成功したとはいえ、魔女のコスプレがクセになってしまい、夜な夜な渋谷の通行人達をおどかして回るようになったキリコさんに果たして将来はあるのでしょうか?(く、狂っている…) サキちゃんには目指して貰いたくない世界であります。
第13話 愛の交換日記
徳大寺コンツェルンと速水財閥の、長男長女の愛の物語。さすがにこの位上流のレベルトともなると一体どういう育ち方をするものなのか見当もつかないので、彼と彼女の心境を思い計ることは困難だ。だが…その恋が本物か否かという問題は別として、毎週毎週渋谷の町中で駆け落ち騒ぎを起こしているロミオとジュリエットのレギュラー番組をこのままほっておくわけにはゆかない、というのが我等がよっきゅんの見解である。とりあえず独立して二人の生活を築いてみよう! という意見はごもっともなのだが、とても生活能力のあるようには見えないマツオとナミの二人に、頭は痛むばかりである。(いい年して、交換日記なんか付けるか〜!!)
あやしいカップルを追って、空から陸から財閥の追っ手が迫る。ウエストサイドストーリーを意識しての演出も加わるが、一応ようこ達の替え玉作戦のほうが一枚上手。(身内に裏切り者が居ちゃぁね。)父と子、そして財閥と財閥の争いに、とうとう渋長が割って入るのだ。(やはり企業同士のもめごとには、ヤクザが介入するものなのか?)結局、現代版「ロミオとジュリエット」の結末は、シンデレラエクスプレスに乗って街から遠ざかって行った。「二人の愛さえあれば何とかなる。」というマツオの言葉をとりあえずは信じておくこととしたい。(当然、後日談があるわけよネ…)
で、ようこの手には、本当の愛の詩が残ったのです。(でもこのエピソードはその後、伏線として生かされることはありませんでした。残念ネ。)
第14話 暗記と恋のAtoZ
「ようこ」が反社会的、反制度的、反常識的なスタンスを取っているのだということをはっきりと示すのが本エピソードである。ひょんなことからよっきゅんはサキと予備校へ通うことになるんだが、テストの点に順位をつけることも偏差値も、いい大学悪い大学のことも、ようこにはまるっきり通じない。確かに、ようこにはわからないだろうしわかる必要もないことであろう。そしてひょっとしたら今、現実にあくせくと予備校なんぞへ通っている人達にしても、あるいは受験社会の常識にだまされているだけなのかもしれない……。ようこは言う。「歌は覚えられるが、中身がわからなければ意味がない」と。記憶するだけの受験勉強は、実は本人の思考力にとって多くの場合何の意味もないことだ。しかし、それが本人の夢をかなえる為にどうしても必要なことならば、予備校も、その人の人生にとって意味のある場所となり得るだろう。要は勉強する内容と目的が、本人の夢の実現に直結するか否か、なのだ。当エピソードでそれ以上のことは語られない。しかし、予備校で芽生えた小さな恋の炎は、確かにここでしか得られなかった人生のきっかけとも言えよう。色々なトラブルの中で、ようこに
も少しづつ田舎で覚えた恋の方程式の解法がわかってきたようである。(お勉強の公式の歌は是非とも覚えて試験に役立てようネ!)
第15話 翼に夢を乗せて
レオナルド=ダ=ビンチのごとく、発明のできる芸術家を目指している、リンドー=バク氏登場。ムササビをさらおうとしたりする変なおじさんなんだが、10年前に亡くなったこの人の妻「マリ」は、なかなかの美人である。その彼女の遺影に海を見せてやりたくて、リンドー氏は翼とプロペラを欲していた……。
かくしてリンドー氏の作り上げたのは、歌声をエネルギーにして飛ぶ手作り飛行機。これを生命保険会社のビルの屋上に持ち込み、ようこはありったけの心をこめて「夕陽のクレッシェンド」を歌う。「ようこそよう子」が、ひょっとしたら魔法少女ではないかと思う一瞬である。ビルの谷間を真っ逆様に落下してゆく飛行機に、ようこが渾身の願いをこめて「飛んでー! マリリーン!!」と叫ぶ。真紅の電撃が空中を走り、飛行機の動力源に伝わったかと思うと、推力を失って失速落下していた機体はグンと機首をもたげ、天空に向かって急上昇するのだ。そうして、マリリン号が夕陽に向かって飛んで行くシーンが実に爽快で美しい。亡き妻に海を見せたいというリンドー氏の愛と、それをバックアップするようこ達面々の努力が為せる技であった。もしかしたら、「夕陽のクレッシェンド」に象徴されるこのラストシーンから始まって、本エピソード全体が組み立てられたのかもしれないな。豊はヘリコプターで警備員を追い立てながら言う。「それは、夢なんだ。」と。一つの夢をみんなで一緒になって見たんだ、と。
ただ問題なのは、ようこと亮さんがグルになって、追ってくる警備員にサキさんを投げつけた場面である。し、信じられないことをするヤツラ!! あわれ人間爆弾と化したサキは、以後熱血腕力少女となってしまった。あうう、私の愛するお淑やかなサキちゃんはどーなってしまったのだろう。やっぱりようこなんかに付き合わせとってはかわいそーだと思う、一幕である。
第16話 小さな星空への奇跡
子供の頃よく、プラネタリウムへ行った。真っ暗なドームの中で満天の星空を見上げ、気の遠くなるようなスケールのストーリーを聞くのが大好きだった。生半可な映画よりも、それは夢にあふれた冒険旅行として刺激的だった。土星の輪の話を聞いた時には、本当に自分がそこへ行ってみて、粉々の氷の結晶に手を触れたような気がした。「星間旅行」というミラクルは、いつか現実のものとなることを信じていた。
ようこは、奇跡の宇宙旅行から帰って、手のひらの中に残った氷クズが水滴になるのをじっと見つめる。みんなの、奇跡を信じる心がこの舞台を、本当に宇宙空間にまではばたかせたのだ。人々の心が一つになってそれを信じた時、救いの旅立ちは始まる。このスケールの大きな一大イベントに、どうか一緒に参加して欲しく思う。
だがやるせないのは、所詮大人達にとってそれは現実ではあり得ず、良くできた舞台装置として、単なるイベント・アミューズメントとしての域を出ないということだ。夢を心から信じ、おじいさんの帰りを待ちわびて夜空に向けた望遠鏡を覗くのは、疑いの無い純な心を抱く子供達だけなのである。だからひょっとしたら地球の未来は彼等が築くものなのかもしれないネ。人々が一つの奇跡を信じて力を合わせる時、この星は浄化の波に洗われて青く光り輝き、そこにようこ(天使)の歌声が優しく響き渡る………そんなイメージを秘めたストーリーでした。
第17話 アイドルへの道 パート1
わがままで子供なメグも、ほたる狂いでとぼけててエリリンな(?)スーも、過激で真っ直ぐで孤独な女ランコも、みんな素敵な女の子に見せてしまう島田脚本に、熟年の気概を見る気がしますネ。二度と無い青春を音楽と友情にぶっつけて、一ケ月後のロックフェスティバルに挑戦するGALS。いくじ無しの男達やわからずやの大人達をぶっとばす為に立ち上がった少女達の、明日を見つめるキラキラした笑顔が最高に美しいのだ。もう、こんなに盛り上がってしまっていーのかしら?と思う位、がんがんエキサイトしてゆくドラマのエネルギーに、視ているものもキット熱くなることうけあい! 夢を見て、目的を得て、仲間を見つけ、決心を固めるという、こうした草の葉的若者のチャレンジスピリッツを描く点で、「ようこそようこ」はつきぬけて優れているのだ。若さだけをたよりに驀進する少女達の姿は、何ともたのもしく美しい。
特に偉いのは、集まってくる三人の少女のそれぞれについて、しっかりと精神的背景(ドラマ)が描写されているということだ。アイスターのオーディションに来た彼女達はそれぞれ、何かを勘違いした場違いな落ちこぼれ人間なのだが、社長の10年ぶりの怒りに相反して、ようこの目にはナイスな人材として映る。メグは、自分や夢を捨てて安住の社会に同化しようとしている彼(アキラ)を見返す為に、ランコは、軟弱化して去って行ったゾクの男どもをぶっとばすかわりに、そしてスーは、自分の将来を勝手に決めてやりたいこともやらせてくれない両親への反抗の証しとして、バンドを組むことを決意する。夜の公園で結成式をあげる4人のメンバー。ようこのデビューへの期待とあいまって、ストーリーは17回目にしてかつて無かった盛り上がりを見せるのだ。
現実への怒り、あふれる若きエネルギー、そして栄光への憧れが少女達のロックスピリッツ!! 精神を輝かす為に、夢はかなえるものだから、自分の才能を発見したくて、みんなが心を合わせる。そこに、音楽が聞こえてくる。このぐいぐいと引き込まれるようなドラマツルギーに、酔いしれて欲しい。
「ぶったたきます!」
第18話 アイドルへの道 パート2
青春の輝きと挫折、そして復活! もう、何も言うことはない。ドラマの王道に感動を味わっておくれ。だれもがロックフェスティバルでのGALSの活躍を期待していたと思うが、しかし外してくる、このやり口には舌を巻く。そーだね、グランプリを取ってしまえばようこのロックバンドのデビューとなるはずなんだけど、そうなることが目的のストーリーでないのは明らかなんだ。あくまでよっきゅんは渋谷の街のアイドルだった。そしてこれからも……太陽の下の路上で、賞金も勲章もない演奏会を……ただひたすらに青春を燃焼する彼女達の姿こそが、よっきゅん魂の目指すものだから。
午後零時、ハチ公前での一度きりのコンサートへもって行く演出効果の絶妙さは、ただただ驚くばかりだ。公園でしょぼくれているメンバーに、「最低です!」と、ようこが叫ぶ。あの、ようこがそう言ってしまうのだ。そして激しい雨。ベッドにひっくり返っているようこに、サキの言葉はたどたどしい。あの、サキが立ち入るスキもないのだ。そして翌日、カラッと晴れ上がった所へ「郵便です!」。部屋に飛び込んでくる笑顔のサキ。ようこの顔がほころぶ。演奏に間に合った彼女が、マイクを取る。「おもいっきりのFIGHTと情熱を込めた私達の歌を、渋谷の街の人々へ届けよう! 自由や愛や、本物の友情への熱い叫びを、聞かせてやろう!」……ロックをシャウトするGALSのメッセージがほら、力強く伝わってくるじゃないか。熱くならなければ嘘だよな。
とにかく、ラストシーンでこれほどまでの共感を得られるのは、ひとえに本作品があくまで綿密に人物の掘り下げとなるエピソードを重ねていったからである。メグとランコの仲違いに始まる一連の心理的ドラマ・シチュエーションの積み重ねが、その時その瞬間の彼女達の考えていることをストレートに伝えてくる。婚約しようとしているアキラとレイコの前で、たんかをきってみせるメグのセリフも素晴らしいし、それを扉の外で聞いているランコの存在も見逃せない。そしてバイクで邸宅へのりこんで来たようこ達と父母との板挟みになりながら、自分の考えをはっきりと言えるようになったスーのたのもしい言葉も、心ににじんでくる。おちこぼれなんかじゃないことを証明した彼女達が、又それぞれに渋谷の街へ帰っていったという結語には、なぜ二週かけてGALSの物語が語られたかということの答えがあるように思う。結果ではなくて、様々な家庭環境の様々な年齢層の少女達が、この時この場で出会い、友情を育み、目的に向かって燃え上がることができたというプロセスこそが、重要なのだ。ようこのストーリーはいつだって、現在進行形の歌でしか語り得ないのである。
第19話 ようこそ夏の雪ダルマ
筆者個人の、ザ・ベスト・オブ・ヨッキュン。ようこのドラマが束になってかかったって、これに勝るものは無いね。チクショー、悲しいよぉ。泣かないでくれよ、よーこ! 泣かないで歌ってくれ! 雪ダルマの歌。雪ダルマの奴、本当にいい奴なんだよな。一九九〇年の夏は、記録的な猛暑だった。だからみんなの心が彼を冷蔵庫に呼び出した。「楽しんでくれちゃったかな!?」うん、うん、とっても楽しかったよ。君が居たら、暑さなんて感じなかったもの。一緒に歌って踊れたもの。真夏の雪ダルマなんて、あまりにもはかなくてもの哀しいよナ。デモ、君は最後まで笑って「いい奴」を演じ続けてたよナ。誰だって君を忘れないよ…。
「雪ダルマの歌」が好きで好きで大好きで、一緒に踊っているよっきゅんもメチャ可愛くて、空をクルクル回るのが嬉しくて、この話が放映された後の一週間というもの、何度も何度も何度も信じられないような回数、ビデオを巻き戻したもんだ。でもそのつどに、雪ダルマ君は溶けて消えちゃうんだよな。それが悲しくて又冷蔵庫から現れる場面を見ちゃうわけで、正直これが単なる架空のドラマとして片付けられないくらい、心に重要なウェートを占めているんだ。
一番悲しいのは、大人達が誰一人、雪ダルマ君が本当に「真夏の歌って踊れる本物の雪ダルマ」だって信じてくれないことだ。大人は駄目だね。だから一緒に遊べない。ついでにつまらない詮索心で彼を傷付けてしまったりするんだ。だから本当に悲しむべきは、雪ダルマ君の存在理由を商業的シンボルとしてしか理解できない、大人達の現実にとらわれた心だって言えるだろう。私はでも、ようことサキと雪ダルマの味方で居たいな。
真夏の渋谷に降る雪に、友情を誓う心の祈りよ!
第20話 夏、私、元気です
渋谷に来てから1/3年。今回はサキが田舎へ手紙を書くという趣向にのっとって、彼女のモノローグ形式でストーリーが進む。随所にシリーズ前半のよっきゅんサブキャラクターが登場しており、彼等の存在を映像のスミに追ってみるのも楽しいかもしれない。メインとなるのはオモさんのアイスクリームショップ実現化の過程をうたったエピソードである。
懐かしいというか久し振りというか忘れていたというか、徳大寺マツオと速水ナミが駆け落ち(13話)以来の再登場。なんでも世界中回って二人の安住の地を探してみたんだが、何処まで行っても両家の財閥のマークがあったんだそうな。んでもって親の力も及ばないところは、南極にせよ砂漠にせよ、カードでお買い物ができないから暮らしていけないとさ。生活力の無さを感じてはいたが、まぁやはりこの二人、金にたよらなきゃやっていけないわけね。確かに愛でパンは買えません。………というわけでしょうがないから両家を脅し、ロフトの前の空き地を結婚祝いに譲り受ける。アイスクリーム屋を廃材でおっ建て、二人はそのオーナーに。勿論、アイスを作って売るのはこの道の求道家、オモさん……!! てな具合で、一つ一つ着実にみんなの夢はこの街でかなえられてゆくのです。だからサキも信じる、いつか必ず女優になれる自分の未来を。その日まで、お手紙を届けるのはおあずけなのです!
「ようこそようこ」前半部の総まとめ的な回で、一応シリーズの折り返しを意識しているものと思われる。(だって次回はついによっきゅんが、デビューしちゃうからね。)
早い話、最近存在感の薄かったサキ嬢の巻き返しを図ったものなのかもしれないが、ここまで主役をはってもやっぱり存在感は薄い。何てキャラクターなのだろう……。(でも、そこがいいネ!)
第21話 歌え!走れ!グランプリ
なーんかね、首都高速が渋滞でビクともしなくて、下道では全面交通規制でF1レースをやっているってのがミョーにリアリティありますね。渋谷の街でF1レースをやるなんてもう夢又夢のような話を、何の前フリも無しにさも当然といったカンジでやっちゃう所が、「ようこそよう子」の現実にとらわれない奔放さを表してるって気がします。てなわけで、ついによっきゅんデビューだ!! 心して見るべし。
雨が降れば徳大寺がバックアップするレーサー日本のシマナカが、優勝間違い無しと聞いてようことサキは雨乞いまでするのだが、あいにくレース当日は快晴。しかし! 若さはつらつのようこちゃんの歌に応援されて、シマナカはためらう事なくアクセル全開! 先行車両4台をぶち抜いて、見事優勝を遂げる。そこでF1マスコットガールほっきょんの出番のはずだったのだが、寝過ごしてしまった彼女のお株を奪うのは当然、我等がよっきゅんなのであった。F1の視聴率って並じゃないからね、街角のそこかしこでようこの歌う姿が大写し。かくして「F1のよっきゅん」の異名まで付くことになるのだ。ま、実力のあるスターはチャンスもむこうから転がり込んで来るものなのかもしれないネ。
でもでも、肝心な番組を寝過ごしたほっきょんさんはあまりにもかわいそうである。(特にラストカットの路上でたたずむほっきょん!)何もここまでようこの影にならずとも良いと思うのだが、一体このほっきょんいじめ、いつまで続くんでしょうかね。(当然最終話まで、やり抜くスタッフであった。)饅頭ができてもこれではうかばれないネ。ほっきょんもガンバレ!
第22話 公園通りの動物園
「のらムササビ」って、珍しいとかそういう問題なのだろうか?。ペットでこんなもん飼っているのは、マジカルエミくらいだと思っていたが。(あれはモモンガだっけ?)
よっきゅんが、社会的弱者に手をさしのべようとするポジションは、納得ができる。ようこってのはそういう子である。たとえその相手が渋谷の動物達であったとしても……。彼等の安住の地を求め、ようこはこの渋谷に動物園を作ると言い出す。動物達が安心して住める居住空間を確保しようというこの提案は、彼女の周りのみんなの賛同と協力を得るのだが……現実に動物達が目の前でほっきょんの高尚な(?)歌を聞いてジタバタ暴れだすのを見て、思い直す。もともとのノラ猫達の守り主、ジャッキーさんの表情も浮かない。そう、動物園と言ったところでそれは、早い話し人間社会から彼等を隔離しておくための狭苦しい施設にすぎないのだ。ノラ猫達にとって、今やこの渋谷の街そのものが自然であり、ジャングルなんだというようこの主張は、突飛だが真理である。(しかし画面に出て来るように、道端でペンギンがよたよたしてたら、ちょっと困るかも知れない。)珍しくようこは今回、判断を誤ったのだ。
どうでもいいことだが私は、実は猫アレルギーなので、やっぱり生活空間から猫を排除しなくては生きて行けない。今度はそういう立場にも立って、最良の解決法を見出だしていただきたいものである。ようこ殿!
更に余談だが、今回、歌うだけ歌って事態をパニックに陥らせ、さっさと立ち去るほっきょんの態度はすがすがしいまでに自分勝手で、良いと思う。スーパーアイドルにはこの位の度量が必要なんではないかい?
ムゥムムムムムムムムゥ……「大丈夫!」の歌がごっつぅ好きじゃ。カラオケあったら、私は歌うぞぉ。
第23話 戦争は知らない
今時、日本の戦争を語るTVアニメなど皆無に等しい。ましてチビッコ向けのこうした番組で、45年間の時を真っ向から見据えようなんてのは、ほとんど無謀とも思える。だが、思い切ってやったことが着実に登場人物の奥行きを深めているのは事実である。かつてこの日本が空襲にみまわれていた時代から、既に45年という年月が経った。それはずいぶん長い期間のようでもあるが、実際問題現在50才をこえる人々の全てが体験してきた出来事なのだから、そう遠い話でもない。事実私の両親は青春時代、幼い弟や妹の手を引いてB29から投下される焼夷弾の雨から逃げ回った経験を持つ。たかだか四十数年でその傷跡も記憶も消えやしないのである。「すいとん」だって、私は良く食べさせられたものだ。決してようこ達のように、初めてではない。
渋長は、子供の頃空襲の中ではぐれてそれっきりになってしまった母親に、45年の歳月を越えてめぐり会う。しかし、再び親子の名乗りを上げるには、離れ離れになっていた年月があまりにも長すぎたのだ。お互いにそれぞれの生き方や仕事が既に身についている。今まで一人きりで生きてきたのだ。実の親子であることがわかっても、今更互いを干渉しあうことなどできる関係ではない。
まことちゃんから、元の渋長に戻る決心をして朝の見回りにでかける長五郎は、男だ。やっぱり…。私にはそれが正しかったのだと思える。だから、彼の人生に乾杯したい。
第24話 グランパの逆襲
どちらかというと人間の弱さと悲しさを前面に押し出した話。23話の次にこれがくるわけで、一体親子の絆って何だろうね、と思っちゃう。今度は老人性痴呆症の問題にとりくむよっきゅん。どのみちこのようなテーマを少女アニメで追究するのは無茶な話なのだが、それでもやってしまうのが「ようこ」である。
すっかりボケてしまい、自分の名前も思い出さないおじいさんが、ようこの愛情とアイスホッケーのスティックに触れたとき、若き選手時代の闘志によって正気にかえる。財産だけが目当ての息子達と再び車に乗って去ってゆくおじいちゃんだが、この人の強さはキット強欲な息子達をこの後叱りとばしてくれるに違いない、と期待させて終わる。
とにかくようこは優しい娘だ。だれにでも分け隔て無く優しさをくれる、この少女の性格が嬉しい。その点でサキの方がまだ常識人なのかも知れないが、当たり前のことをしていて人は救われない。結果、サキとようこが一つベッドで毛布を分けあう姿は、とてもほほえましいと思う。(サキちゃん、かぜひかないでね。)
見所は……そうですね、冒頭の、ホッケーのタマ(?)が客席のおじいちゃんを直撃しようとするところへよっきゅんキックが炸裂する、スリリングな場面(思わずオオ!と声がもれる)と、お別れのときにおじいちゃんが一番大切にしているメダルを一番大好きなようこちゃんに手渡す場面ですね。老人と少女の心が通じあうというシチュエーションは、「ハイジ」に通じるものがある。感動!
第25話 ニュートレンディを探せ!
9話以来、久々! の、花梨さん登場。その後の彼女の活躍をちゃんと描いてくれるなんて、なかなか心憎い計らいである。バスト98……
通っているデザイン学院の学内コンクールに提出する作品のイマジネイションを得るため、花梨は街へ出る。だが高級クラブのきらびやかでフォーマルなドレスは、窮屈すぎて花梨の強迫観念をかきたてるばかり。(あの極端な反応は、昔何かあったんだろうか?)体を縛るような服は要らない!……もっと自由なイメージで、行動的な服装は作れないものか?
てなわけで彼女の目に止まったのは、渋谷の街の路上生活者のおじさん達。ホームレスの彼等は、その実、自由を愛するボヘミアン! 彼等のパフォーマンスを聞いているうちに、花梨の中にはニュートレンディのファッションイメージがむくむくと沸き上がったきたのだ!!
かくしてコンクールでは見事に優勝をおさめ、賞金を手にした花梨であるが、実はそのお金、モデル学校へ通うための資金となる予定。まあね、デザイナーの才能だけは確かなんだから、若いうちにいろいろやるってのもいーかもね。というわけで路上生活者達のあくまで明るい生きざまを描いた本作品。ヒッピーに通じるこの感覚は、つくづくシリーズ監督の年代と趣味を反映しております。
第26話 スターを探す男
オースチン彗星は七十年に一度だけやってくる星で、幸運をもたらすと言われている。しかし、渋谷の街ではネオンが隠してしまって見えない、遠慮がちな星。手術を前にした病身のハルカちゃんに彗星を見せてあげるには、渋谷じゅうの明かりを消してしまわなくてはならない……。かくしてようこ達の電気消しちゃおう運動が始まる。
しかし世の中そんなに甘いものではない。今や不夜城と化した東京の街の電気を、一時的にせよ全てストップできるはずがない。電力会社に直訴してハンストしても、よう子がTV番組の中で「電気消しちゃって下さい!」とお願いしても、駄目。ハルカちゃんもそれは納得してるのです。ようこやサキやダイイチさん達に出会えたということは、もう彗星の幸運は訪れているんだって。彗星からはいつもハルカちゃんの姿が見えているのかもしれないね。
アニメ版「渥美清」のダイイチさんは、午後八時、電力会社へ侵入。犯罪者となる。彼が取っ組み合いの中で偶然主電源のレバーを下げたため、渋谷の電気は一気にメルトダウン。真っ暗な夜が訪れる。人々の指差す先にはくっきりと、彗星のしっぽが。ビルの屋上でハルカやようこはその光景を眺めて微笑んだ。(ダイイチさんはどうやらぶちこまれたようだけど…)
子供の頃は、星が好きで、よく望遠鏡をかついで歩いたものだ。あれから十五年あまりで、すっかり夜空の星は減ってしまった。東京ではもう、星なんか見えやしない。だから、自分の部屋の天井にお星様を張り付けてみたくもなるのです。ね、福太郎君。
第27話 ようこそカレー行進曲
秀作です。ハッピーな気分が盛り上がる、平和なドラマ。真っ赤に燃える大きな太陽は、今でもガンガーに降り注いでいるのだろうか。情熱的なインドの太陽の味をずっと渋谷で作り続けてきたガンジイじいさんのカレーは、ようこが始めて出会う本物の味。辛いけどおいしい!! 口の中がインドって感じ。そんなカレー、食べてみたいよネ。インスタントばかりじゃなくて……。アニメなんだけどカレーの美味しさが楽しく伝わってくるのは、一重に演出家の力。そして、近永さんの絵が又素晴らしい。さすが「ようこ」のキャラデザだけあって、ちょっと他の人には真似のできないNO・1の本物ようこを見せてくれます。ガンガーの都で暮れゆく夕日を見ながらたたずむ若き頃のおじいさんと、とびっきり美しい「太陽」という名のインドの娘さんの対話シーンも、近永嬢なくして、これほどのインパクトはあり得ません。あったかさを分けてくれる太陽の娘って最高だよね! エスニックブームじゃないけど、インドへ行ってみたくなってしまう。(きれいなおねえさん、いっぱい居るんだって!)
カレーの見習いに来たようこ達の出現によって、死にかけと世間に言われていたおじいさんも復活!! 楽しい歌声に魅かれて、カレーハウス・ガンガーはお客さんの長蛇の列。様子を見にきた「カレーのピリピリ」の社長の舌を激に驚かせた結果、ガンガーの味は日本じゅうの食卓へ降り注ぐことになるのです。(インドの太陽のような味って、どんなでしょうネ。)かくして出来上がったカレーのCMは、動く動く動く〜!! すげえよこれは、ようこがいっぱい、いっぱい。思わず嬉しくなっちゃう。この辺のミュージカルのアニメートだけでも一見の価値アリなので、未見の人は是非ともビデオで御覧下さい。ハイ!
第28話 ガラスの中のアイドル
世界中の著名なアーチストが集まるイベント、「オープニングセレモニー」の日本代表として選ばれたほっきょん。しかしこの大役へのプレッシャーに彼女は精神的に押しつぶされ、マネージャーから逃げ出してしまう。困り果てたマリンテラスプロダクションの社長はアイスタープロに泣きつき、ようこをリハーサルの代役として出演させてくれるよう頼み込むのである。ほっきょんの代役をこなせるのは今やようこしか居ないという辺りに、運命の皮肉がある。
かくしてリハーサル舞台で最高のステージを披露するよっきゅんに、世界中の才能が注目する! サイクルジャクソンを始めとするビッグアーチスト達がべた褒めしてサインまで求めるのがなんだかくすぐったい。やはりというか、よっきゅんのタレント性は世界に通用するということが証明されたということかもね。GOOD LOOKING, GOOD SONG!
一方、ガラス張りのエレベーターが故障し、さらしものになってしまう不幸の絶頂期のようなほっきょん。けれども助けに来たようこと二人きりになって生死の運命を共にした時、彼女は初めて自分の本当の気持ちを素直に語る。(おお!)自分が本当は、歌の下手な、可愛さだけで売っているアイドルなんだってこと。だから世界に通用しないのがわかりきっていて、恥をかくのが怖くて逃げてしまったということ。けれどようこは、どんなに声がかすれていても音が外れていても、歌いたいという気持ちがあればそれでいいんだと答える。要は楽しんで歌えるかどうか、それだけではないか?
自分をさらけ出してしまったほっきょんが、ふっきれたようにようこ以上のステージを振る舞うシーンに、このドラマの救いがある。なんだかんだ、ほっきょんはやっぱりほっきょん。トップスターとしての面目をこれからも通さねばならない。……とすれば、対するライバル陽子はどんな歌を唄ってくれるのか? 二人とも世界にはばたくことを約束された大スターであることを感じて、わくわくして欲しいな。
第29話 レッスンアンダーザスカイ
あのよっきゅんが今、日本の教育の在り方を問う問題作!……かどうかはわからないが、少なくとも「学校」ていうものがようこの理想とするものとかなり掛け離れているのは、確かだ。もともと日本の学校は、生徒の画一化と集団統制のために存在する、みたいなところがある。それは勿論、日本という国の成り立ちと、言語構造と、精神性と、更につきつめれば「天皇」という中心性への帰属意識が要請しているものであることは間違いないと思うけど、こうした社会制度の在り方を受容するか否かの選択権くらいは、次代の日本を受け継ぐべき若者に与えられてしかるべきと思う。ようこがここで抱く疑問は、制度下における全ての日本の学生の疑問の代弁でもある。勉強する為になぜ、学校でみんなと同じ服装で、髪形で、同じ考え方をして同じ行動を取らねばならないのか。規律という名の教育は、一体何を生んでいるのだろうか。
ここでようこが始めた「あおぞら教室」とは、「学校」というコンクリート造りの檻へのアンチテーゼであり、社会的挑戦である。かくも、ようこという人物がいつもいつも反社会としてのポジションを取らねばならないのは、それだけ日本の既存の体制と精神性が病んでいるからであろう。誰が何と言ったところで、ようこは正しいと思う。「誰にでも心を開いて、自由で、夢を持っている人」を否定することはできない。「それじゃあ、世の中やっていけないよ」と言うならば、その「世の中」とやらの方が間違っているのだ。社会も制度も、人が作るものである限り、個々の人の心が変わればいくらでも改革することができるんじゃないか。ようこが訴えかけるメッセージは、その一つ一つが笑って受け流すことのできるような軽いものではない。もっと重要な使命を負っているはずである。一緒に歌って幸せになれる人なら、きっと分かってくれると思うのだが……ね。
とにかく私個人は学校という処が嫌いであったし、多分これを読んでくれている人達もそーだと思う。ならばきっと、「OPEN AIR CLASS」の一員になれるはずだ。そのことを是非ともほこりに思いたいね。
第30話 歌声でタイホして
「ようこそようこ」も30話と、熟女時代に入って俄然面白くなって来た! この、どこまでも爆走して行く戦車のような脚本は、凄い凄い。もっとやれ、てなもんだ。戦車から手を振っているよっきゅんに、レポーターの勝手な解釈。TVで見ていてぼやく久美子。「ちがうわ、キット」。人垣に阻まれて身動きのできない地上部隊に要請されて、仰々しく発進したもののアッという間に現場を通り過ぎてゆくAIR FORCE。ようこの姿を見つけ、ステージ衣装を目一杯のパワーで投げ付けるスーパー花梨。「それが何になるのよ〜!!」サキのけたたましい絶叫が、もうキレまくっている。そして、わずか1ミリ秒で真っ赤なドレスを赤射蒸着してお昼の生ステージに立つよっきゅん。「後は歌うだけ。」……一体誰がこのようなノリのいいセリフとカットを組み上げるのだろう? そもそもあの銀行強盗の二人組がやみくもに戦車まで持ち出して逃走を計る所に狂気が入り交じっている。そんな目立つものでどうやって逃げ延びようというのか。しかも、町中の車を踏みつぶして喜々としているわ、よっきゅんにサインは頼むわ(ようこのサインて、「願い星・かない星・スター」か!?)、婦人警官(
富永みーなとくれば婦人警官か!)を人質にするわで、脈絡のない荒唐無稽な性格と行動に絶句である。「運が良ければ逃げられる」なんて、既に自爆的60年代革命戦士のセリフではないか。うおおおおお!!
てなわけで、遅刻はしたけどお咎めなしでお昼の生ワイドは視聴率も上がって、ようこの歌声も全国に流れたしメデタシメデタシだ。アナクロな戦車を出してきてここまで面白くするんだもん、(思い切り良く街をぶっ壊して爆走する戦車の豪快さはもう、快感!)やっぱあなどれないよな、「ようこそようこ」。この元気な路線、気力が続けばもっと欲しい所です。
第31話 シネマパニックパラダイス
狂っている。とにかく全編狂いまくっている。メンタルな部分てのがほとんど無いので、何も書きようがない。とにかく笑える部分は笑って欲しい。しかし、笑えないギャグもかなり入っているから苦しいのだ。ここまで目茶目茶やってしまうと、かえって収拾がつかないという見本のようでもある。
ようするに首藤氏は得意のドタバタがやりたかったと思うんだが、こいつはもろばの剣だってことで、失敗すれば目も当てられない。「ようこそようこ」ではこれまで、つじつまのあったギャグやシリアスな人間関係や夢のある画面処理が売りだったはずである。共本の田哲平氏の作風は個人的に好きなので、やはり悪いのは首藤氏だということにしてしまおう。しかしこの番組に見られるような「大団円」という傾向性は最終話にも引き継がれるので、正直頭の痛いところなのだ。電池の切れた作家の実験箱として、「ようこ」はあるんじゃない……と、見ててつらくなる。
まーね、色々とパロディや風刺はあるし、楽しいことは楽しいし、映画ってものを愛すればこそのエピソード作りであったことは良くわかるので、そーゆーものを理解してくれる人々にはうってつけのフィクションだったかもしれない。あと、ようこちゃんが歌ってさえいれば幸せといった向きにもお勧めです。というわけで、番外編「ようこ」としての位置が妥当てことでよろしいでしょうか? ちょっと誉めるの辛いです。
第32話 アイスター危機一髪
いいねー、この話。アイスタープロ社長山下と、スカウトマン原田と、アクトレス久美子の、三角の恋。大人なんだか子供なんだかわからない、この三人のビミョーな〃想い〃に触れていると、なぜかでも素敵にあったかい気分になってくる。サキにもやっと、彼等のフツーじゃない関係がわかったみたいです。
10年前、渋谷の街角でながしていたミュージシャン山下と原田。その二人へアルバイト先からくすねたハンバーガーをさしいれる久美子。若かりし頃の、忘れられない思い出だ。そして新生バンド「ムーンライトキッス」は、一度きりの賞を受ける。まだ、夢に向かって燃えていたあの頃……その頃ビルの屋上で見た月は、今でも天に輝いているじゃないか! 折しも久美子は、業界ナンバーワンの「パックオンレコード」の御曹司からプロポーズを受ける。しかし、彼女がその言葉を待つ人は、山下社長だ。微妙に揺れ動く乙女心……を知っているはずなのに、社長さんは久美子の気持ちを冗談にして躱し続ける。その理由はただ一つ、親友の原田が内心、久美子に思いを寄せているのを知っているからだ。見掛けによらずムード派のこの男を、思いやろうとする山下の気持ち、是か否かはともかくとして、わかるような気がします。
でもこんな普通じゃない関係は、いつまでも続けていちゃいけないのかも! 口火を切ったのは酒に荒れる久美子をかばっていた原田で、アイスターをやめると言い出した。山下は激怒して彼につかみかかる!! どうして「久美子さん好きです」の一言が言えないんだ! というセリフは、そのまま自分へ返さなくてはならない。なのに、原田を社長に、久美子を専務にして、アイスターから身を引こうとする山下の心境……この男の余計な思んばかりが、事態を硬直化させている根本原因であるように思えますね。
横浜のハーバーの汽船の中で、自分の気持ちを殺して本当に好きでもない男と式を挙げようとする久美子。息急き切って駆けつけ、結婚を妨害する山下と原田。「花嫁を貰いにきた」という一言は、最高だ!! そう、この三人の誰が欠けたって「アイスター」は成り立たないんだ。これからも一緒に夢を売る商売を続けるさ……。何よりも、久美子さんの幸せそうな笑い声が救いだね。結論を出さない大人の恋に、なぜかあこがれを感じたりもします。
花嫁奪回のシチュエーションに、「卒業」と「カリ城」を同時に連想したりして…。私って、古いですか?
第33話 恋文横丁からの手紙
冒頭の、よっきゅんドリンカーステップはいーよー、最高に可愛いネ!! 酔っ払い踊りがこんなに可愛いなんて、さすがよっきゅんだ。(本人は嫌がっているのが惜しい。)ついでに、どぴゃー、ミカちゃんかわうい! うう〜、嬉しくなっちまうだよ。全くネ。
しかし! 作画もすんばらしいけど、この話、泣けるんだよね。とにかく涙ぼろぼろこぼして、ようこにしがみつくサキちゃんがやっぱ目玉かも知れない。本当に本当に、彼女はようこのことが好きなんだ。「ようこをいじめないでー!」という叫び。それはもう、愛なのかも。きっと丸一日、失ったようこの姿を探してこの娘は渋谷じゅうを歩き回ったと思うんだ。一度でいいからこんな娘に慕われてみたいものだネ。生きてて良かった。
昭和二十三年・戦後復興の時代。だれもが貧しくて、けれどもみんな新しい日本の未来へ向けてとびっきりの夢を抱いていた時代だ。だからそれなりにみんな幸福だった。アメリカという大国の新しい文化がどっと流入して、若者が新しいものに胸をワクワクさせながらブギウギを踊った時代でもある。アルコールの影響下でタイムスリップをしたようこは、全く見知らぬ過去の街に立っていた。そこで出会ったのは、焼け跡のストリートアイドル・ミカちゃん。そして、アメリカではなくこの日本でトランペットをやりたいという元気な坊や、ジョニー。ようこが偶然手にした恋文は、この二人を引き合わせた……音楽をこよなく愛する少年少女は、出会うべくして出会ったのかもしれないね。明日の日本のミュージックを育む為に。彼等を巡り会わせる為にようこは、音楽の魔術によって過去へ呼ばれたんだよ、きっと。
言ってみれば、ミカちゃんのケタケタ笑う声が魅力。そして40年の時を経てやっとジミーヘ手渡される手紙も、不思議でいっぱい。たった一話でこれだけの時間旅行を素敵に演出できるのだから、TVアニメってすごい!! です。はい。ドラマ性という点で右に出るもの無き本作品は、ようこファン必見だね。さあ、ミカちゃんと一緒にブギウギしよう!
第34話 私のジュリエット パート1
「ロメオとジュリエット」のミュージカル、「ミス・ジュリエット」のオーディションが日本で開かれる。アイスタープロのとびっきりの人材、ようことサキがこれに応募!! さてさてサキちゃん、いよいよ君の出番だ。最高の君を世界的な名監督の前で表現しなきゃ! でもでも、うう〜、サキぃ〜。おまえってやつは……なんてぇ、純な子なんだぁ。嬉しくも哀しくなってくるゼ! 本当に、ハラハラさせる子だこと。でも、その自信のなさそうな表情が、最高に魅力的なんだよね。誰も君の涙には勝てないサ。
ロンドン・ミュージカルの巨匠ライオネル・ウェーバーの前で、さんざん失敗しまくってこれ以上無いというくらいに目立ってしまうサキ。どーしてどーして、女優志望の女の子が舞台恐怖症なんだ! 大勢の人の前ではものが言えなくなっちまうんだ! くぅ〜、たまらんなぁ。そんな娘が自分の性格を変えたくって、たった一人東京へ出てきちゃったんだよなぁ。なんかせつなくなってきちゃうよなぁ。頑張ってくれよ〜、渋谷の街のジュリエット!!
決意を固めて、ファンが見守る前で、未来への光に向けてバルコニーへの階段を夢中で駆け上がった熱血サキちゃんは、そのままマッサカサマに落ちてゆく。「おお、ロメオー!!」(福ちゃん感涙のシーンだ。)はっきり言ってこの展開には腰が抜けるから、みんな刮目して見てネ。善くも悪くもサキちゃんの性格が最大限に舞台で発揮される回で、なんだかほんの少し、このおとなしい少女の素顔が見えたような気がする。だからとっても嬉しい。抱き締めたくなっちゃうくらいにかわいいサキのウブな表情に、ぐらぐらきて欲しいと思います。
第35話 私のジュリエット パート2
ライトを浴びることはなかったけど、サキの初舞台は終了した。もう、最高にキマってたよ、サキちゃん。社長さんや渋長さんや渋谷のアリスのみんなが君の始めての舞台を見て、「最高だった」って言ってた。そして君は知らないだろうけど、カーテンの影で踊る君を、与えられた役に全力を尽くすその姿を、ライオネル監督は見ていたんだ。本物の舞台の方をさしおいて…。明日への限り無い可能性を秘めて、女優の玉子はスカートを広げて自分の観客に挨拶する。みんなの拍手と笑顔がこぼれる。やっぱりサキさんは最高の逸材だったんだ。そのことが証明されただけで、「ミス・ジュリエット」の舞台は非常に大きな意味があった。まだ、彼女は大女優への道を歩き始めたばかり……。
パート1に較べて、脚本の盛り上がりも作画の入れ込みもそう大したことはないと言える本エピソードだが、それらの条件を軽く吹っ飛ばしてみせるのが、舞台裏で完璧なステップを踏むサキのダンスシーンだ。補欠として説明役に抜擢された彼女が、あの場面で踊れるということが、何よりも素晴らしい。多分、サキでなければ踊れないだろう。そしてあまりにもサキらしい瞬間。考えて見ればライオネルの審美眼は、当初から誰よりも彼女の姿とタレント性を気にかけていたんではなかったか? 暗がりの中で踊る少女の笑顔には、一点の陰りも無い。全身で、このときこの場で踊れることの喜びを発散しているその姿に、大女優への可能性の片鱗を見て取れることだろう。
ただただ、感激すべし。
第36話 猫子ちゃんのユウウツ
太陽が雲にかくれ、どんよりとして日々が続く。太陽電池の切れたよっきゅんは頭の輪っかがぺったんこにうなだれて、全く生気を欠いた日々。なぜって、彼女というアイドルも今、業界によって作られてしまおうとしているからだ。プロデューサーのおじさんは言う。君は同世代の少女達の気持ちをかわりに歌えば良い、君自身の気持ちなど関係がない、と。はたしてアイドルとは作られるものなのか? という永遠の課題が、ついに首藤氏の口から語られることになる。アイドルの自己喪失……。それは、既存の「アイドル」という存在への痛烈な批判であり、根本的な存在矛盾の指摘に他ならない。
しかしそんなようこの姿と二重写しで描かれる、渋谷の街で猫をやっている女の子が、実に重要なのだ。少女は言う。いやなことをいやだと言えなくて、猫さんになってしまったんだ、と。それは人間であることからの逃避の姿だったわけだ。猫になることでしか、自分を獲得できなかったからそうしているのだ。彼女が見上げるビルの窓の中では、勉強をいやだと言えずに遊びたい気持ちをおさえて黙々と机に向かう子供達の姿がズラリ。それは、社会によって大人達によってまさしく「作られよう」としている主体性を失った人間の姿でもある。今の、太陽を失ってしまったようこと同じだ。
だが、ようこは復活する。人と猫が一緒になれる、一体になれる、その場所で。いつだって人間も猫と同じ心になれることを知った猫子ちゃんはだから、最終的に猫という擬態に逃げ込むのをやめて、人間に帰って行くのだ。心が猫さんならば、人間やってても猫でいられるから。そして、ようこも多分これから主体的に『ようこ』というシンガーになる道を選ぶにちがいない。勉強を放り投げて猫と一緒に踊った、やりたいことをやろうとした、子供達のように……。
はっきり申し上げて、この話は脚本のからめ方がうまくない。しかしテーマ性を追究すれば意味の深い作品。そして同テーマは、次回へも強力に持ち越されるので、とても重要である。
第37話 アイドルは知っている
ほっきょん受難のストーリー。日本中のアイドルになり、ビッグメジャーになった彼女には、既に帰るべき故郷もなくなっていた………はからずも幼少時代の思い出すら葬り去ることになった一人のスーパースターの悲劇を描く、アイドル超大作。とでも書いておこう。(ほっきょん饅頭が食べたいなァ)
実は福太郎君家で一度見たきり、録画テープも無いのでこれ以上のことは書けない。すみませんね。とにかく「アイドルってなに?」と、ほっきょんがずっと思い悩んでいる。悩むからどんどん不幸になるんでないの? かつてはアイドルという存在も〃作られる〃ものではなかったはずだ。業界の方向性がいかにあれ、要はその人次第ではないのか? もし、アイドルが自我を主張する道が断たれているのだとしたら、その「アイドル」という枠を抜け出してしまえば良い話。もう、ほっきょんに後へ戻る道はない。頑張ってくれよと、祈るばかりです。(う〜、ほとんど覚えてないんだよね。外してたらゴメン!)
第38話 地球の酸素がなくなる日
くあー、この叙情性はとても言葉にゃならないよ。30年後の地球のみんなにどうか笑顔をくださいって、クリスマス・イブの夜サンタクロースにお願いをするようこちゃんのメッセージ、あなたの胸にも届いたでしょうか? 生半可な自然保護運動よりも、スローガンだらけのビラよりも、ずっとずっと切実に身にしみると思うのですが。TVアニメでもこんなことができるんですね。脚本があの小山茉美さんだってことで、ちょっと話題です。自然の大切さを訴えかける物語であるにせよ、全然教条主義的でないのがいい。別に、何かを人に要求するような話ではないからね。でも「30年後の地球では3%酸素が減って、人々の顔から笑いが消える」というセリフには、どきっとくるものがある。都会の雑踏と自然農園との対比的描写とあいまって、ストレートな危機感と寂しさを私たちに伝えます。既に30年後の地球の姿の予兆はこの渋谷の街に見られるんじゃないのか? もう既に、この灰色のジャングルは人々の笑いを失いつつある……。
大地さんは自然の守り神。彼の瞳にようこもサキもずっと昔、まだちっちゃかった頃に出会っている。多分そして私達も。地球という名の生命圏(ガイア)は、その連鎖形のシステムを人間によって破られ悲鳴を上げている。崩されたバランスは、もう元には戻らない。でも、今からでもできることはある。みんながそのことに気付けば……。そんなメッセージを残して、大地さんはようこ達の前から姿を消すのです。風雨に耐える樅の木とクリスマスのイメージの重ね合わせが、ラストシーンのようこのセリフを極めつけのものにしていると思います。じーんときて下さいネ。
第39話 サーカスが来た!
「この街はいつも誰かがやってきて、いつの間にか去って行く。でも、何かを残していってくれる…。」
不思議な、不思議な、不思議〜な物語。銀河サーカス……じゃないよ、「夢のサーカス」が渋谷の街にやってくるんだ。サーカスというと国籍不明・異世界・不思議といったイメージがあるけど、このサーカスも例に洩れず、どうやらフェザースターの亜空間サーカス団のようだ。どちらかというとこれはもう、都会に突如繰り広げられるファンタジーの世界なんですね。プレアデス星団のスバル君とお友達になったようこちゃんサキちゃん。サーカスってのはお客様に夢をあげる仕事だと聞いて、シンガーのようこも女優志望のサキも、とっても身近かに感じる。感激のショータイムにいたっては、テントの中の不思議な魔術のようで、非日常的イメージに驚きの連続なんです。大胆、爽快、感激、スリル、エキサイト、夢のようにきらびやかな世界……
うるさがたの日の丸お役人さんに掴まってしまったスバル君の代役として、我等がようこちゃんは空中ブランコのスターになる! 刺激的に目立つ派手な衣装に身を包んで宙をひるがえるようこの華麗なショータイムは、作画の気合いもあいまってパーフェクトな仕上がりなので要チェック!! そしてブランコからブランコへ飛び移るスリリングな瞬間、ようこの手がバーからはなれる! 衝撃が走る。落下してゆくようこの姿。その刹那、光が体をつきぬけ、ようこの背に天使の羽がはばたく。さしのべられたスバル君の手につかまり、ようこはほっと息をつく。だれもがヒヤッとして青ざめた、ゾクゾクする夢の光景である。虚空に繰り広げられる魔法の演出である。流れ星になってようこを助けに来たスバル君の亜空間テレポート………やっぱり彼等は、我々のあづかり知らない異世界の人々なのだろうか? きっとそうなんだね。
一つの祭りがここで終わった。ようこの手に残された空中ブランコのオルゴールは、心にジンワリ残された、夢の思い出なのだ。お化粧バリバリのようこが見られるのは本作品だけですので、必ず見てください!
第40話 レッツシング・ウイズ・バード
どしぇ〜、何でいまさら鳥の話やるの? よくわからんなァ。人間て、昔は鳥と話しができたのかなァ。歌うことで人間と鳥はコミュニケーションできるのかなァ。疑問。いずれにせよ、ようこはいつの間にこれだけの客を動員できるビッグアイドルになったんでしょうね。ファンの大群に追っかけられるようこって、今一つピンと来ない。そういう設定を前フリ無しにいきなり出してきたって、違和感の嵐だわ。ここは一つ次の角を曲がってドロンしましょう…
地下鉄の廃坑に大群で住んでいる鳥達って不気味。誰だってネズミと思っちゃうよな。(鳥の目って、光るんだっけ?)ヒチコックでんがな。つまんない駄洒落は言うし。(ついに明かされるタイトルの秘密!)鳥の分際で人間様としゃべるたぁ、生意気だ。(ようこは人間じゃないかもしれないが)
「いつも私たちに食べ物を分け与えてくれる人」「僕達の歌を聞いてくれる人」「そして素敵な歌声を聞かせてくれる人」「そして何よりもわし達の心をみんなに伝えてくれる人」……としての期待を一身に受け、よーこは歌う。失われた人間と鳥達とのコミュニケーションを復活させるために。まぁ、凶暴な烏は更正させたし、人はいっぱい集めたし、朝の代々木公園はメデタシメデタシのはずなんだが、どう考えてもあのコンサートが魅力あるものには見えないのは私だけだろうか。インコの奴は元の飼主の少年よりずっと陰険だし、コンサートはつまんないし、だからなんだってんだよ〜! という気分になってくるのだ。ひょっとしたら私の心がさもしすぎるのかもしれないが、全般的に鳥が生意気過ぎるのが気に入らない。まーいっか。
「一丁目のくだもの屋の看板娘、お昼になると公園にくる女子高生(!)わしゃあこの街が大好きじゃった……」涙もろくなったじーさん雀の回想シーンが、ちょっといい。(理由は追求しないこと)しかし所詮は鳥の浅知恵。看板娘も女子高生も、もう嫁に行ってきっとここには居ないのだ。
第41話 雪のラビリンス
渋谷の街が雪に埋もれた夜、少女は一点を見つめている。他のものは何も映らない。そこに、青年が立っている。二人の世界が展開する。ボーイ・ミーツ・ガール。
雪の魔法。ようこの淡い恋心。スターシアターの鐘が午後八時の時を打つ時、あこがれのバイオリニストは、雪の中へ消えてゆく。今から十年後の未来に、何が? 教えてください、あなたと私のこと………
今から十年未来の物語。「カフェ・オモサン」で静かに時を待つようこ。そこへ現れた渋谷のアリス。渋谷へ憧れてやってきた、作曲家の玉子。青年にクラブハウス・サンドをごちそうして、二人はうちとけあう。恋の始まり。「いつの間にボーイフレンド?」。夜の噴水。あいびき。そして〃なまいきな〃約束。ようこへの愛を込めた曲。ようこに伝えることのできなかった、詩情あふれる名曲。悲劇的結末。
三日間だけのチャンスを得て、青年は過去へ遡り、一心に自分の曲を弾く。愛する女性の為に。そして、ようこは気付いたのだ。声をかけた。青年は、彼女に手をさしのべる。愛は刻をすら超えるものなのかもしれない。彼は、ようこのことなら何でも知っていると言った。おばあちゃんのマフラーのこと、願い星・かない星・スターのこと。やがて再会の時間は終りを告げる。「さようなら、ようこさん。」ようこは消えゆく幻を両手で小さな胸に抱き締め、地にひざをつく。「今度会った時には、名前を教えてください。」…………大地にほほを寄せて。
「ようこそようこ」最高級の脚本である。今、私に言えるのはそれだけである。涙で何も書けやしないよな。
第42話 不思議の街のアリスたち パート1
断じて思う。なぜ「ようこそようこ」はこの42話を以て最終回としなかったのであろうか、と。「今度こそやれる!」と、希望に燃える彼等の姿をシリーズのラストシーンに固定していれば、すごく良かったのに。目標に向かって最高に盛り上がっているあの姿こそが、まさに「ようこそようこ」の神髄であったと思うのだ。あのようこの笑顔を越えるものなどあるはずがない。これ以上のことを書ける話しでもない。夢を追いかけている人のドラマが集結するこの場面に、全42話の全てがあるはずだ………。
とりたてて言えば、日本流行歌促進本部の出現がなんだか全てをぶち壊している気がする。彼等が出てくる都度に、シナリオはガタガタタになってしまうのだ。それはさながら当アニメーションのスタッフ&プロデューサーが自由にやろうとしているところへ、外部から妨害と規制の枠をはめてこようとする某プロダクションの姿のようだ。アイドル「業界」への痛烈な現実的批判が、あのハゲのおっさんに集中しているような気がするのである。営業を妨害され、プロダクションの事務所まで失おうとも、ようこは「アイスターのようこ」に他ならない。アイドルは自然で自由でなければ、素敵な夢と心を歌うことなどできやしない筈だ。
ウィンドーの、「アイスター」のロゴがはがされるシーンは、何かこうぐっと来るものがある。社長の言う通りこれで元々とはいえ、とてもつらく感じる場面だ。この先アイスターはどうなってしまうのか? …不安に駆られた所へ、しかしその気持ちを吹き飛ばすかのように次々と集まってくるかつての仲間、友達、お知り合い、協力者、応援者。懐かしい出演者達の顔ぶれが一同に揃う。嬉しさがこみあげてくるじゃないか。やる気がみなぎってくるじゃないか。みんなで立ち上がろう! 一緒にミュージカルを作ろう!!
これこそ、「ようこそようこ」のテーマが完遂した瞬間である。
第43話 不思議の街のアリス達 パート2
蛇足なんだけどね、やっぱり感動しちゃうな。あらためて、ようこの魅力全開! ならば、それでいいって気がしてきちゃう。ようこの笑顔に触れられれば、それだけでとってもあったかい。社長さんがついに教えてくれたよね。ようことサキは、渋谷へはじめてやって来た時から「不思議の街のアリス達」というミュージカルを繰り広げてきたんだ、と。それは、全43話の彼女達のストーリーをずっとリアルタイムで追っかけてきた我々にしても、一年間思い続けてきたことだ。エンディングはオープニングに帰って行く。もともと、フィクションの構造は根本的にそういうものではなかったか? 結末を見定めなくては、物語は始められない。当然「ようこそようこ」は、一年間渋谷の街でミュージカルを演じる為に始められたストーリーであり、今更劇場の舞台の上に立つまでもなく、ストリート・ミュージカルは進行形なのだ。だからようこは今更ブロードウェイへ行く必要が無いのである。やるならば、この渋谷の街を丸ごとニューヨークへ持ち込まなければ、意味が無い。夢はもうこの街で、現実との関わりの中で達成されている。より大きな夢へとふくらみ続けながら……。EDの、渋谷の街を
ペイントして繰り広げられたようこ達のミュージカルは、そっくり全てが既に我々の胸の内にある。
TVのアナウンサーのセリフによれば、30年後、人々の顔から笑いが消える。地球の酸素が3%減った為か。だが50年後も、世界の星花京子はニューヨークの地で健在である。ジャパニーズ・マフィア渋谷長五郎も。
今一度、ほっきょん最後の言葉を引用しなくてはならないな。
「あたしがどんなに不幸でもこうして頑張り続けて来れたのはね、50年前この娘と出会って、そして一生に一度かもしれない夢のような時を、大勢の素晴らしい人達と共にすることができたからなの。そう、この娘があたしの心に太陽を分けてくれたから…………ね、よっきゅん。」
【 FOR YOUR FUTURE 】
……50年後のキミのための言葉だ