『白き天使永遠に』解題
瀬川あ おい
燃えるように地上を埋めつくし咲き誇る「命の花」。蒸散する緑のワクチン の霧の中を、愛する者の名をただ呼び続けながら必死に駆ける少年。涙が両の目 から怒濤のごとく流れ落ちる。神秘の花が発する赤いオーラと、舞い昇る緑の聖 水と、星夜のとめどもない涙。これらが渾然一体となる「りりかSOS」の幻想 的クライマックスは、ともに一人の少女の命の輝きと奇跡の力を祝福せよと我ら に迫る。「りりか、りりかー!」絶叫する星夜の姿とともに、だが、悲しみの涙 が魂の根底からとどまることなく噴出する。星夜の叫び声は、同じく我らの心の 叫びでもある。今や少年の気持ちと完全にシンクロしながら、地上を埋め尽くす 命の花の草原を競って走り抜けている。目指すその先に、愛してやまない少女の からだが安らかに眠っているからだ。彼女は静かに眠っている。滅びの宴を阻止 し、地上の楽園を復活させる大役を終えて、癒しの花びらのベッドの中でゆるや かにまどろんでいる。我らは、いちるの望みをつないで祈るより他ない。りりか 、りりか、目を開けてくれ! と。せめて11才の少女が将来を享受できるこの 地球でなくては、何の意味も無いではないか。
奇跡は、起こる。
「ナースエンジェルりりかSOS」……閉塞するアニメーション業界の只中 、1995年に産声を上げたごく普通の一人の少女の物語は、不安定な製作スケ ジュールの中で年度の終りとともに恐るべき結実を迎えた。誰が、このような結 末を予想したであろうか。これほどまでの心理的高みを達成する作品になると、 一体何人もの人が当初から思っていたであろうか。しかし注視すべきは大地監督 の頭脳の中でシリーズ開始とともに目指す終局点は仕組まれていたことである。 徹底的にシリアスな「りりか」の情景は、だからどのシチュエーションをとって も変わることがない。第一話から最終回に至るまで、ナースエンジェルの物語は 付け入るスキのないハードなドラマチック性で覆われていた。間断なく戦いの悲 劇性はあのラストシーンを完遂させる為にずっとずっと訴えられ続けてきたのだ 。そこに、近年まれに見る大オーケストラなスペクタクルが織り込まれているこ とを、大多数の視聴者が長く見出だせなかったにすぎない。ふりかえりみればシ リーズの持つ力と目指す世界観は、全編を通じて等分に配置されていた。今なら 、誰もが納得し得るであろうか。実は幸福であった昨年度を通じてみて、真に最 高とうたわれるべきストーリーはまぎれもなく「りりか」であった、と、ここで 記すならば。だがその一方で、昨年夏に「りりか」の至上性を訴え、同人市場で 完全な無視を受けた屈辱を忘れ得るものではない。「りりか」を信じ続けてきた 想いを、後悔することは無いにしても。
ラストシーンにおける奇跡の結果については、多くの意見が乱れ飛んだよう だ。「生きてる」と、ただ一言だけで結末を迎えた究極のシーンにおいて、一切 の粉飾や解説は為されていない。しかし、りりか当人が「生きてる」と言葉をか みしめ反芻した表情の中には、生命を享受した幸福の彩りが歴然と備わっている 。彼女の生死をもはやいかにして疑うべきものだろうか。「生きてる」……それ は、死を覚悟して破砕した魂が戦いの痕跡をメモライズしつつカタルシスの底で 復活を遂げた、生命の言霊(ことだま)であるに違いないのだ。りりかは生きて いる。ここで「生きてる」という台詞の言わんとするところは、転生ではなくて 、戦闘の同一直線上で命の花の開花という結果のもとに彼女がこの地上に「再生 」したという事実だ。一旦死を迎えし幼い魂が、ここでこの場で、生を感得する 意味を思うならば、確かにそれ以上の言葉は不用になるだろう。咲き乱れる命の 花のベッドに安らかに横たわるりりかの肉体のそのかたわらで、多分涙でグシャ グシャになった星夜の呆然自失な姿がたたずんでいるはずだ。きっとそうだ。「 生命の花」とまで名付けられしものが、11才の少女の生命を救えぬものならば 、何を以て生命の根源と言えるものだろうか。りりかは星夜とともにこの地上で 生きていかなければ、りりかではないのだ。りりかは生きていなければならない 。それが「りりかSOS」の最終的生命線でもある。
りりかは生きていた。そうであるのだとしたら、奇跡は何ゆえに起きたのか 。誰がそれを行なったのか。ナースエンジェルが自らの命と引き換えに命の花の 種子を解放し、全ての役割を終えて地上へ放落しようとするその時、11才の少
女に戻ったその肉体を抱き留めたのは伝説の戦士。全宇宙の愛と正義の心を担っ て生まれた、ナースエンジェルの原型とも言うべき太古の超越生命たる彼女が、 今そこに出現して慈愛に満ちた聖母のまなざしで哀れな少女のむくろをみつめる
。この上なく優しい愛撫のまなざし。そしてりりかの前髪にそっと顔を寄せる。 祝福のキス。憐憫のキス。そして復活のキス……。全宇宙の生命を救う為に自ら の命を犠牲とした尊き少女のなきがらに注ぎこまれる神々しい生命の息吹。やは
り、ナースエンジェルは命の花と引き換えに死んでいたのだと思う。ナースエン ジェルはすなわちりりかの変身体であるかぎり、ナースエンジェルピュアホワイ トに抱き抱えられたりりかの生命の炎も尽きていたはずである。だからこそ、魂
を共有するナースエンジェルピュアホワイトはこの地上に復活を遂げている。そ れは、我々が目の当たりにすることのできた初めてのナースエンジェルとりりか 、分離の光景でもあった。今や少女の魂はナースエンジェルピュアホワイトが担
い、りりかは息をしていない。しかしそっと聖母がくちづけをする時、両者の肉 体は光に包まれ、何かが起こる。地上に降りて目を覚ましたのはりりか一人だっ た。彼女が目を覚ました時、ナースエンジェルピュアホワイトはそこには居ない
。りりかは、奇跡の担い手の出現のことを知るよしもないが、そこに宿っている 命は紛れもない、復活したもう一人の戦士がくれたもののはずだ。白き天使が、 りりかの内部で永遠のものとなった、輝ける瞬間でもある。ナースエンジェルは
、りりか生存のうちにはもう二度とこの地上によみがえることは無いだろう。奇 跡の時間を含めて、ナースエンジェルが負っていた使命は全て完遂されたのだか ら。地上から黒のワクチンの痕跡は全て消え、緑あふれる地球が全宇宙の光とな
って復活を遂げている。浄化の証左となるのは、最終回EDに1ショットが与え られたクィーン=アースの光景だ。病床にあったヘレナが起き上がり、ミミナと ともに緑のよみがえった地上を眺めてほほ笑んでいる。そしてその先に浮かび上
がる青い星はまぎれもない、地球。クィーン=アースの人々が明るい笑顔を取り 戻し美しい自然を眺めるシーンが描かれたということは、これと全く鏡像関係を 結ぶ地球では、りりかや星夜が緑よみがえった大地で仲良く寄り添っていなけれ
ばならない。無駄な表現が省かれているだけで、必要なものは全て大地コンテに 於いて描き尽くされている。そしてナースエンジェルとダークジョーカーは光と 影。どちらも浄化された地上の楽園の内には目に見えぬものとなる。りりかはナ
ースエンジェルとしての記憶をとどめつつ、もうナースエンジェルになることは ない。ナースエンジェルピュアホワイトの存在も、彼女の生命の内部で生きつつ 実体的には永遠に認識され得ない。これらは全て、太古のナースエンジェルピュ
アホワイトが備えたシナリオに記されていた約束の出来事であったというのが、 僕のささやかな想像である。りりかの死と再生の物語は、既に太古の地上でナー スエンジェルピュアホワイトが思い描いていたものではなかったか? 青写真は
引かれていたと考える。
そもそもに於いてナースエンジェルとは何者だったのであろうか。りりかは 10才の誕生日に加納先輩にエンジェルキャップをプレゼントされる。りりかと 、このナースキャップの接触が自動機械としてナースエンジェルをこの世に出現 させるのが第一話の筋書きでもある。そこにダークジョーカーの存在も条件とし てかかわるかもしれないが、いずれにせよりりかがナースエンジェルになる為に はエンジェルキャップが必須のアイテムとである。ダークジョーカーは一時、り りかの手中からこの変身アイテムを奪おうともするが、りりかとこのナースキャ ップの間には超越的力が働いてアッという間に少女の手中に戻ってしまったこと もあった。りりかがナースエンジェルであり続けようとする限り、両者は切って も切れない強い力で結ばれているのである。 さて、そのキャップを授けてくれ た加納という男は、地球の外からやってきた異星の客であった。彼はもう一つの 地球とも言うべきクィーン=アースから王女様の使命を帯びて地球にやってきて いる。ダークジョーカーと呼ばれる悪のモンスターによって命の花を奪われ、黒 のワクチンを大量に精製されて死に絶えようとしているクィーン=アース。この 世界をたった一人、清浄な力で支え続けている王女ヘレナを救わんがため、はる ばる地球へやってきてナースエンジェルを復活させ、ダークジョーカーを打ち砕 かんとするのが、加納望ことカノンの目的だ。では、何故に地球という異星系に ナースエンジェルを求めたのか? そもそもにおいて地球とクィーン=アースは 二重化された星なのだ。一方の衰退はもう一方の衰退を意味する。クィーン=ア ースの生命を根絶寸前まで負いやったダークジョーカーは、今度は地球の生命を 狙っていると加納は語っている。両者一体としての制圧がダークジョーカーの完 全勝利の時なのだ。かつてクィーン=アースを守りしヘレナ王女は、やはりナー スエンジェルであったのだろう。彼女は果敢にダークジョーカーのモンスターと 戦っていた筈。しかし、クィーン=アースには生命の花が咲き乱れていた。生命 を守る緑のワクチンの原料ともいうべき命の花は、それ自体が悪しき心にとらわ れた時、地上を滅ぼす黒のワクチンの原料にもなる。ダークジョーカーの攻勢は 凄まじくヘレナの抵抗と緑のワクチンの精製力は次第に押されていき、やがて彼 女は変身能力すら失って、あやうく城の周辺を守護するにとどまったのだろう。 結果的にクィーン=アースの生命の花は全て、黒のワクチンに変えられてしまっ た。わずかに残された目薬大の緑のワクチンと、ナースエンジェルの変身デバイ スであるエンジェルキャップを携え、カノンはナースエンジェルの復活に最後の 望みをかけて地球へ向かう。何なれば地球はクィーン=アースと全くの鏡像関係 にあるふたごの姉妹星である筈だからだ。クィーン=アースにヘレナが存在する ならば、地球にも同じ10才の救世主が存在する。そして彼女は等しくナースエ ンジェルに変身する能力を持ち、緑のワクチンのパワーを引き出せる超能力を秘 めている筈だ。問題は、どの子が地球のヘレナなのかを突き止めること。しかし カノンはゆるぎない使命感に従ってりりかの存在を認知し、白鳩学園に転校生加 納望として潜入を計る。彼は、愛するヘレナの命を守りたい一心で、りりかとい う普通であるけど普通じゃない小学生の女の子に接触する。ナースエンジェルキ ャップが少女の10才の誕生日に手渡された時、壮絶な戦いのドラマは幕を開け るのだ。
かく設定を縦覧してみるとナースエンジェルは変身のポテンシャルとして、 オリジナルの転生体であり、ヘレナ王女のような救世主に該当する人物を要求す る。しかし、それだけではダメだ。エンジェルキャップという物理的媒介体を通 じて、聖なる力と聖なる願いをそこへ集約することが必要だ。全宇宙から彼女の 左腕に集中する自然のエネルギーがエンジェルキャップに注がれる時、そこにあ らかじめ書き込まれていたオリジナルのナースエンジェルの記憶(ナースエンジ ェルピュアホワイトの形象記録)が読み出され、量子化されたエネルギーをシス テマチックに再構成して身にまとうことでレプリカが生み出される。それがりり かの変身体であるナースエンジェルだ。従って形態的にはナースエンジェルの容 姿はりりかそのものではない。ナースエンジェルが一見りりかと似てはいるが、 身長的にも髪の長さも微妙に異なるのはその為であろう。りりか本人がナースエ ンジェルピュアホワイトの転生体である限り、その内実に変わりはない。能力的 には同一視していい。だが、原型であるナースエンジェルピュアホワイトが一人 であるのに対し、りりかやヘレナは転生の過程で二分されている。これがナース エンジェルの階層付けを促している根拠たるべきだろう。看護婦は、ピンクから 水色、そして白と、昇格する。
してみると、ナースキャップの存在とこれを作りし者の関係が考えられなけ ればならない。この世にナースエンジェルの変身の契機となる帽子が存在すると いうことは、それはあらかじめ用意されていたものと考えるより他にない。人の
生命は限りがあるが、転生サイクルを持っていて何度も復活する。問題は、復活 した時にオリジナルの記憶をいかに引き出すかだ。その為に物理的媒体として、 永遠不変のアイテムが要請されていたのである。それは同時的にナースエンジェ
ル復活の必然性を誰かが予見していたということにもつながる。ナースエンジェ ルがこの地球上現れる理由は、しかし唯一つだけなのだ。ダークジョーカーがそ
の牙をふるわせ、地上の生命に暗闇をもたらそうとする時、まさにそのカウンタ ーアタッカーとして、ナースエンジェルが誕生する。ダークジョーカーとナース エンジェルは表裏一体の自然に内在するエターナルなジレンマなのである。そも
そもにおいて生命とは、その発生根拠からして二律背反性を内包しているのは言 うまでもあるまい。勢力を無限に拡張しようとする力とこれを抑制しようとする 力が内部で戦い、拮抗するバランスで以て恒常性が維持されている。ダイナミッ
クな力動的存在であるがゆえに、矛盾する存在をアンビバレンツに所有する。自 壊プログラムを内蔵しながら、一方でこれが起動しないように監視プログラムが 働き、浄化を常に促している。こうしたアウトラインは、ダークジョーカーとナ
ースエンジェルの戦いの歴史、そのままであることだろう。何よりも、神によっ て仕掛けられた自然と人との基本的矛盾性を体現しているのが、「命の花」とい う両義的な、限りなく罪作りなキーアイテムではなかったか。浄化の為の緑のワ
クチンを作るには必要不可欠な妖しいピンク色の草花。生命あふれるところには 必ず咲き乱れるという、希望の花。しかしてそれは、悪しき心に接触することで 地上の生命を根こそぎ奪う闇のワクチンにもなる。換言すれば、命の花はナース
エンジェルの内にある時緑のワクチンを放出し、ダークジョーカーの手にかかる と黒のワクチンの原料に変えられてしまう。そして、一旦黒のワクチンと化した ものも、ナースエンジェルが全身の衝撃と激痛に耐えられるならばかろうじて緑
のワクチンに変質させることが可能なのは、りりか中盤を見ても明らかである。 但し、少量ならば。もし全地球を覆い尽くすような大量の黒のワクチンが一気に 襲いかかれば、ナースエンジェルとてひとたまりもない。逆に緑のワクチンの力
はすさまじく、その一滴でダークジョーカーのモンスターを一撃の元に粉砕し帝 王ブロスをも致命的に傷つける。この辺の設定も、ナースエンジェルピュアホワ イトの筋書きを支える為の重要なファクターであるように感じる。先にも述べた
通りナースエンジェルピュアホワイトはいったんはダークジョーカーの怪物を静 めたものの、いつかこの地球に彼等が復活するであろうことを予測していた。ダ ークジョーカーとは人々の心の邪悪な意識が集まって生まれる、滅ぼすことので
きない敵であるからだ。生命の持つ両義性によってこれは、永遠の宿命である。 だからナースエンジェルピュアホワイトは復活の契機として、エンジェルキャッ プを残し自己の転生化という宿生に賭けたのだと思う。ダークジョーカーの復活
するところ、そこにはナースエンジェルが存在しておらねばならぬから。だが、 ナースエンジェルピュアホワイトの洞察はそれだけにとどまらない。彼女は、レ プリカの敗北の時を予見して、それに備えていた。絶対に負けないプログラムを
用意して。
命の花は、ヤヌスとしての両面性を持っている。それは生命の持つダイナミ ックな力動性と不可分のものである。自然は、自ら滅びようとする力と伸長しよ うとする力の狭間で常にせめぎあい、バランスを保っている。すなわち自己変革 を容認することで、全宇宙への進化拡張を目指すと同時に、結果をフィードバッ クして検証することであやまった進化過程を監視抑制し、調和を乱す病根を内部 破壊するように出来ている。人類が今や絶滅の危険に瀕しているのは、ダークジ ョーカーという目に見える怪物が暴れ回り地上が黒のワクチンに汚染されている からであるが、これも地球という一個の定常開放系が存在して行く為のシステマ チックな自然選択の結果である。人類という幼年期の亜種を生んでしまった地球 。それ自身が完結した一生命とみなせば、死に絶えようとする意思も又、地球の 選んだ命運とも言うべきものだ。だから人類は踏み絵をふまされているのだ。彼 等が生き残る為には、ナースエンジェルを生み落とすだけの愛と正義の力を証明 しなくてはならないのである。地上ではナースエンジェルがダークジョーカーの 野望を阻止すべく歴史的に戦いを繰り広げてきた。初代ナースエンジェルピュア ホワイトしかり。鬼と戦った天女伝説しかり。これらはナースエンジェルとダー クジョーカーに象徴化された、滅びの意思と浄化の力の織り成す内部的なせめぎ あいの歴史でもある。常に、どちらかが優性になることなく拮抗してゆく状態が 要請されているのだ。しかし人々の意識が自愛と暴力性にとらわれ、破壊と殺戮 の欲望に駆られる時、自動的にナースエンジェルの力は衰え、ダークジョーカー の無と静寂の影が転地を覆い尽くす。かつてナースエンジェルピュアホワイトが 生まれし時も、そのような状況が現出していた。ナースエンジェルという実体を 生み出したということは、単に自然内部での自己撞着した意識の問題では済まな くなってきたということだろう。滅亡の力は顕在化し、目に見える怪物となって 天空をばっこする。この危機に際し、全宇宙の生命維持にかける意思が聖なるエ ネルギーを集め白き天使を召喚する。しかしもはやナースエンジェルピュアホワ イトの手に余る程、ダークジョーカーの力は絶大であった。敗北を確信した時、 彼女は一大英断を下したのである。一つの生物種を絶滅させ、未来にその種子を 残す為、自分の生命に包んで身体ごとアーカイブする……恐るべき超能力を発揮 する。りりかの無意識に眠る記憶の断片の中、あの、命の花に埋まった丘でナー スエンジェルピュアホワイトが回転を始める時、咲き誇っていた命のはなびらが 次々にバトンの中に吸収されて絶滅の時を迎える。ナースエンジェルピュアホワ イトの「ごめんなさい」という言葉が、かくも破壊的な方法を採らねばならない 追い詰められた戦士の心理状態を如実に物語っている。それはこの場で命の花と いうキーデバイスを自己占有化する独断に対し、許しを請う言葉なのであろう。 もの言わぬ命の花は、ナースエンジェルピュアホワイトの生命の内部に取り込ま れ地上からは消えた。問題は何故、ナースエンジェルピュアホワイトがそうせざ るを得なかったかということだ。それは唯単にダークジョーカーの魔手から命の 花を保護し、接触の機会を奪ったというだけのことなのか。命の花を地上に残し たまま、ナースエンジェルピュアホワイトが緑のワクチンを作り出してダークジ ョーカーと戦い抜くことは出来なかったのだろうか。……彼女が自らの生命その ものを圧縮して命の花と運命を共にせねばならなかったのは、ひとえに時間が無 かったからなのだと僕は思う。そうまでせざるを得ない程に、追い詰められてい た。今ここで命の花の生命を絶たない限り、滅びの勢力は止められない。緑のワ クチンをあらためて熟成するインターバルはもう残っていない。ナースエンジェ ルピュアホワイトの地上への降臨は遅すぎた。だから、その為の時間を稼ぐ為に 、自らのうちに命の花の全ての種子を取り込み、自信の生命もろともダークジョ ーカーの手の届かない形而上的点にして未来へ飛ばしたのではなかったか。ダー クジョーカー再興というシグナルをトリガーとしてこの世に再びナースエンジェ ルが出現するまでの時間、命の花はナースエンジェルとともにある。黒のワクチ ンがナースエンジェルの手の中で瞬く間に緑の溶液になった光景を思い出して欲 しい。ナースエンジェルの体内に静められた命の花の種子は、彼女の聖なるエネ ルギーと呼応して悠久の年月とともに緑の草花として染められていくのが目に見 えるようではないか。それがナースエンジェルの生命と引き換えに解放される時 、瞬時に大地へ根を張り花を咲かせ、望まれし緑のワクチンを大気中へ一気に放 散する。それが……究極のヒーリングと称されるべきあの、驚くようなスピード の地球環境浄化のプロセスに付随する、重大な理由である。ナースエンジェルの 体内で熟成・発酵された命の花の種子の変質が、今日にでも地球の生命を奪おう としていた黒のワクチンの猛威を目も眩むような早さで一気に吹き飛ばす。否、 黒のワクチンそのものを自動的に緑のワクチンが浸食し、命の根源へとかえして いるかのようだ。ナースエンジェルから放出された命の花は、もはやカノンがし っていたクィーン=アースに咲き乱れし命の花と同種のものではあるまい。ナー スエンジェルのエネルギーによって浄化システムへと最適化された、至上のヒー リングフラワーとして、無敵のエネルギーを内にためていたのだ。地球がたった 一人の少女の生命と引き換えに救われる道理も、ナースエンジェルピュアホワイ トの崇高な予見性に根差すところ、全ては命の花が絶滅したあの丘で仕組まれて いたのである。それは又、ナースエンジェル自身の持つ予想を超えた潜在的力で もある。
唯一つ残酷なのは、このような無敵ともいうべき命の花の解放が、ナースエ ンジェルの生命そのものを引き換えにしてのみ可能となる事実だ。しかし、ナー スエンジェル自身の内に命の花という切り札を秘匿していなければダークジョー
カーの手にやすやすと落ちてしまっていたであろうことも、やはり真実。戦いの 命運を握るアイテムは、最も安全な最後の絶対防衛ラインに於いて、究極の反撃 システムを携えながら隠されている。その事実の中に、ナースエンジェルピュア
ホワイトの狡猾な読みがいみじくも刻まれている。すなわちナースエンジェルピ ュアホワイトは、いつか転生した自分が絶対防衛ラインを守り切れなくなるその 日を、既に予測していた筈だからだ。ナースエンジェルがダークジョーカーに破
れる約束の日、それは起こるべくして起こったと言うことも出来よう。地球が黒 のワクチンによって侵され、天変地異が迫り来る最後の審判のその前日、りりか の意識の根底に眠っていた古(いにしえ)の記憶が、すなわちナースエンジェル
としての運命の秘密が、徐々に覚醒しつつある。りりかは初めそのことに気付い ていない。地球の人間は心の中を覗く能力を、夢という形で死か持っていないか らだ。しかし、クィーン=アースからの来訪者であるミミナは、いちはやくりり
かにメモリーストアされている最後の秘密に精神接触してしまう。ミミナの驚愕 描写は、りりかに代替されて先行的に描かれたものだった。りりかは未だそれを 知らない。明日の誕生日を控え、学校で家で、浮かれはしゃぎまくっている。し
かし夢の中で静かにナースエンジェルピュアホワイトの記憶領域は語りかけてい たのだ。どうすれば命の花はりりかの身体から解き放たれ、地上に蔓延しうるか を。カノンは叫ぶ。君はその方法を知っている筈だ! と。そしてりりかは、知
らないと激しく首を振る。だが少女の脳裏をよぎるのは、ナースエンジェルピュ アホワイトによって仕掛けられた残酷な運命の映像。11才の誕生日に彼女が自 分で選んで実行せねばならない、「自己犠牲」の宣告であった。
ナースエンジェルの死と引き換えに命の花は咲く。りりか自身が探していた 命の花であった。この衝撃的事実に接する時、誰もの心に電撃が走らざるを得な い。なんという極まった設定なのか。わずか10才あまりの少女に突き付けられ る死の宣告は、号泣のみで悲しみを補えるものではない。呆然とするりりか。言 葉の内容を信じることができず、冗談ですよね、と何度も問い直す。嘘だと言っ て欲しい。しかし、カノンの真っ直ぐに見据える真顔と、両の目から怒濤のごと く流れ落ちる涙が、真実としての裏付けをりりかに突き付ける。過去アニメ史上 にこれほどまで恐ろしい光景があったであろうか。りりかほどのシリアスなスト ーリーの中で、「君は明日、死ぬんだ。」と一言の下に生存の権利を否定し、一 方的に落涙するカノンの表情が、まさにりりか内面の恐怖をこれでもかとばかり にかきたてる。何も知らない少女が、なにもかも知っている彼に、このような形 で絶望に満ちた結論だけを聞かされる。しかも反証の余地なく、真顔で泣かれる その恐ろしさ。りりかの心の内に走った衝撃を思うと、叫び出したくなる。カノ ン、君はひどい男だ。何故に君を心から慕う少女を、そこまで追い詰めようとす るのか。だが、カノンは極めて使命に忠実な形で、りりかに真実を伝えようと懸 命に努力しているに相違ないのだ。あれ程まで健気に地球の為戦ってきたいたい けな少女へ、とどめの一言を突き付けねばならない苦しみを思えば、彼もいっそ 気が狂ってしまいたかったことだろう。しかし王女つきのナイトと言う強靭な精 神が、最後通告を余儀なくするのだ。「りりか君、きみの命が欲しい…。」この 言葉に、最終回の人々の心の流れを見通す上での決定的な重心が存在するように 思う。りりかは、死にたくない、生きていたい、助けて! と哀願する。一体こ んな話があって良いものだろうか。最も信頼と尊敬を勝ち得ている筈の人物が、 無力にも小さな女の子に、命をくれと請い願い、少女が体を震わせ「助けて!」 と絞り出すように嗚咽するこのシーンに、僕は言葉を失う。りりかとはこういう 話だったのか。ナースエンジェルとは、人々を救う為に命をも犠牲にせねばなら ぬような過酷な定めを背負っていたのか。あまりにも残酷な展開に、頭の中が真 っ白になる思いだった。そして何故にりりかはナースエンジェルでなくてはなら ないのか、その宿命を呪った。もとより誰も、りりかがナースエンジェルとして 生きることを強制出来るものではなかったのだ。ただりりかは、大好きな加納先 輩の言いつけに従いその言葉を信じて、周りの人達の幸せを守る為に苦しくても 戦ってきた。だが、その戦列上に避けられぬ死が待ち受けるような状況を、等し く甘んじて受けよと誰が命令出来るだろうか。りりかはナースエンジェルを放棄 すべきであったかもしれない。いや、多分そうするのが正しいことなのだろう。 自己犠牲も、死に極まれば美談では済まなくなる。その人の人生は、全宇宙の生 命の尊さと等価であらねばならぬからだ。りりかは暗闇の部屋でたった一人つっ ぷして泣き果てる。全く疑ってやまなかった、明日以降の自分の人生の時間をと 突如奪われた衝撃と悲しみ。それは、想像力の限界を超えている。更にはそれが いたいけな10才の少女の小さな方にのしかかっているのだと思うと、発作的に 胸が苦しくなる。こんな話があっていいものだろうか?
せめて彼女が決断を下さねばと、誰しもが思ったことだろう。だが、暗闇の 扉は開かれる。明日の誕生日が終わったら私の命をささげますと、女の子の唇が 言う。伏目がちに、しっかりとした口調で。りりかはどうしてそんな決意をして しまうのか。確かに「りりかSOS]の主人公はそういう強靭な子であるとして 主人公を今まで扱ってきた。それはわかる。だが、りりかは泣くべきなのだ。泣 いて、泣いて、加納にすがって、自分には決意出来ない! と崩れるべきなのだ 。壊れてしまって良いのだ。それなのに……毅然と気持ちの整理をつけて明日の 誕生日に加納を招待するその精神力とはなんなのか。これがナースエンジェルと として生まれた彼女の心理的強さなのだと言われても、納得は出来ない。あるい は明日、この地球がダークジョーカーの黒のワクチンにおおわれて、賞もおばあ ちゃんもパパもママも星夜も、その他ありとあらゆる親しき人達の生命がついえ てしまう定めを自覚する時、自分一人の命で持ってこれらが救われるならば喜ん で差し出そうとでも言うのだろうか。ナースエンジェルはそういう崇高な高みで もって自己犠牲を決意出来る聖人なのであろうか。否、否、否、りりかは死んで はならない。自分の周りの愛する人達を守りたくても、彼女自身が死んでしまっ ては何にもならない。だって彼女自身が昨日言っていたじゃないか。ダークジョ ーカーを倒してみんなの命が助かったとしても、星夜が居てくれなければなんに もならないもん……と。この言葉の責任を裏返せば、彼女のこれからやろうとし ていることは明らかに間違いなのだ。親しき者達への裏切りだ。りりかは、たと え地球がこのまま滅びてしまおうとも、みんなと生死を共にしなければならない 。それが彼女の生まれてきた意味なのだからだ。これを超克してしまうナースエ ンジェルとしての彼女は、だから許されるものではないと僕は考える。けれども りりかは決断してしまった。自分の生命を失っても、家族や友達の救われる世界 を望んだということに、人としての尊さを認めるべきなのかもしれない。だがそ れでも尚、彼女を引き止めたい気持ちに変わりはないということ。天を仰いで叫 び出したいのは、何もカノンに限ってのことではない。
これに続くりりか11才の誕生日パーティーの光景が又、落涙を誘う。バー スディ会場集まった人々が口々にこれまでの10才の健やかな成長を祝い、この 上ない祝福の言葉をくれるのだ。11才のお誕生日、おめでとう!! ……11 才としての明日以降の人生は存在しない子供に向かって、これらはなんと残酷な 台詞だろうか。未来へのはなむけの言葉をいくら送ったところで、りりかにはも うその未来が許されていないのだ。このパーティーが終わったら約束の時が訪れ る……一つ一つ、生命の灯の炎が吹き消されていく。りりか自身によって、これ までの10年分の思い出をかみしめつつこれを消しさるが如く。残り一つの蝋燭 の火をおさななじみの星夜とともに消した時、僕は本気で泣けてきてしまったの だ。「生まれてきて良かった。」と、彼女は言っていた。わずか10年のりりか の人生の尊き時間を彼女自身が反芻しての言葉だが、それをこの瞬間を以て終わ らせてしまおうというのか! りりか、りりか、君の人生はまだ短すぎる。いく らも生きていない少女が、生まれてきて良かったと、そんな言葉を友達や親族に 送って人生を終わらせてしまってはならない。思いは幾重にもこみあげるが、ど れも伝わらない。誰も、りりかの未来を疑ってはいない。ただお祝いの笑い声だ けがいつまでもこだます、明るい団欒の風景。しかしピリオドは確実にやってく る。りりかは幸せだったのだろうか。死を決した最後のバースディパーティは、 本当に彼女にとってかけがえのないものだったのだろうか。彼女自身は「うん」 と答えることだろうが、それを追認するのは辛すぎる。本当は、そんな誕生日が あってはいけなかったのだ。あたたかい言葉が満ちれば満ちるほど、悲しみも自 ずと高まる。いくら星夜の気持ちが伝わったとしても、その先の未来が無いのな らば二人の通じあう感情も欺瞞に見えてくる。りりか、何故泣き出さないのだ。 それが君の優しさと強さなのか。
約束の時間の訪れ。あの丘の上。最後を見届けにきたカノンと、阻止しよう とする星夜・デューイ。ああ、もはや何を記していいのかわからない。りりかは 言った。ナースエンジェルに生まれてきて、良かった、と。大好きな人達をこう して守ってあげられるのだから。そしてこの世にりりかという人間が初めから存 在しなければ誰も悲しまない、だからみんなのりりかにまつわる記憶を消して欲 しいという、カノンへの依頼。りりかの言うことは、その通りなのかもしれない 。けれども、そうじゃないはずだ。いや、そんなことが許されてはならない。り りかと生きた時間、りりかとの10年分の思い出、愛、切ない感情を、全て忘れ よという願いは、りりかが誰かに課すことが出来るものだろうか。りりかは星夜 の中のりりかを認めていないのだろうか。せめて、悲しみがこの世に無ければ人 々は救われると、本気で彼女は思っているのだろうか。星夜は気の狂わんばかり に叫ぶ。やめろ! りりか。デューイは何度でも、森谷りりかの名を呼び掛ける 。だが、二人の哀願もナースエンジェルとしての使命に就く少女に黙殺されるの みだ。カノンの無言の叫びも鬼気迫るものがある。だがこんなに哀しくても、ナ ースエンジェルはふりきっていかなければならなかったのだ。愛する人達の為に 重い十字架を背負って、りりかは最後の変身を遂げる。聖なる力、聖なる願いが 、丘の上の救世主に集中する。同時に王女ヘレナの最後の力がテレポートしてナ ースエンジェルとシンクロする。青い瞳のナースエンジェルブルーの現出! 今 、初めて見る伝説のナースエンジェルに極めて近い似姿。エンジェルバトンにく ちづけ、命の花よ、私の命をあげると、りりかはささやいた。地球を救う最後の 手段として、ナースエンジェルの記憶の中にインプリントされていた命の花の種 子の解放手順が寸分違わず実行されてゆく。唯一つ、それを行ないし者が、夢の 中で見たナースエンジェルではなくナースエンジェルブルーであるという事実を 除いては。つっぷした星夜の指の隙間から、探し求めていた命の花の緑が生え出 る時、地球は救われゆくのだという実感を覚える。デューイの台詞を待つまでも なく。たった一人の少女の命が全てを救ったのか。いや、しかし降臨するナース エンジェルピュアホワイトの姿が、やけにまぶしい。
結局、ナースエンジェルピュアホワイトの筋書きにこれらは全て仕組まれて いたのだ。ナースエンジェルピュアホワイトは太古の昔に異命の花の種子をアー カイブして消失した。しかしそのプロセスをふりかえり見ると、彼女自身は生命 を終えていない。自分の肉体を、生命を、命の花とともに折りたたみ、白き衣に 包み込むことで可視世界から消失している。何者にも手を下せぬ形而上的点、物 理上の特異点となって、静かに転生を待っていたのだ。ナースエンジェルの生命 消失というトリガーが引かれ、解放の時が訪れる時、再び彼女の生命は現出する 。つまり、生まれ変わってきたりりかの命にはナースエンジェルピュアホワイト の生命が命の花の種子とともに包み込まれていたとしか考えられない。彼女の表 情はあくまで穏やかで優しい。まるで、この時が訪れることを知っていたかの如 く、聖愛に満ちたまなざしで、りりかの眠りし素顔をみつめている。そう、多分 ナースエンジェルピュアホワイトは全てを見通していた。いつかこの時が訪れる ことも、彼女の胸の中に転生後のナースエンジェルの人としての肉体が抱かれる ことも、何もかも知っていた。だから、あのような慈愛の瞳を持ち得たというこ とを主張したいのだ。彼女は悲しんではいない。りりかの死を抱きつつもそれを 祝福し、称えているように見える。そして聖母が御子におくるような、愛にあふ れる期す。形容しがたいその光景はまるで、神の似姿でもあるかのようだ。ナー スエンジェルピュアホワイトは、ナースエンジェルがいつか地上でダークジョー カーとの戦いに負けて死を迎える時、それと同時に命の花が解放されるよう、土 壇場で全てが一気に浄化されるプログラムを組んでいた。そしてその場に再び自 己の命を顕在化させる理由とは、ナースエンジェルに変身するはずの未来のヒト を救わんがため。ナースエンジェルの死と引き換えに現出するナースエンジェル ピュアホワイトの魂は、もう一度生命を尊い犠牲者に注ぎ込んだのだと考えられ る。ナースエンジェルピュアホワイトは、ただりりかの生命を救う為だけにここ に現れたのだと……。そうは見えないだろうか? それは命の花を絶滅させて後 世に種子の解放を託した責任を、最後まで引き受ける為かもしれない。あるいは 未来に仕掛けた不敗のナースエンジェルシステムの結果を見届ける為か。いずれ にせよナースエンジェルピュアホワイトの力によってりりかは地上手再び目を覚 ますことができた。絶対助からないと思っていた少女が、最後の最後に目を開け 命の花の光を見ることができたのだから、今更何も文句は出まい。りりかは生き ていなくてはいけなかった。そして生きていた。それがナースエンジェルピュア ホワイトの手の内で踊る仕組まれたドラマなのだとしても、「生きている」それ だけで感謝がこぼれ落ちる。「神様、もう一度生まれ変われるなら、森谷りりか に……」 ナースエンジェルピュアホワイトはそう、神の天使(エンジェル)。
夜が晴れる。日が差し込む。ここちよい朝の訪れ。黒のワクチンに覆われて しまっていた地球は、夜の時間に没していた。りりかのお誕生日会が終わって解 散したあの時、既に夜明けは訪れなくなっていた。人々は二度と朝の光を見るこ となく死する運命だったのかも。だけどりりかが救ってくれた。黒の霧は晴れ、 太陽の光が地上を照らしてダイヤモンドリングを作る時、命の花の園でりりかは 目を開く。二度と明けないはずの夜がまた、いつものように明けて行く。彼女と 彼女の多くの友人達のもとで。そんな地球をみつめるクィーン=アースのヘレナ 王女の目には、窓辺越しに役目を終えたナースエンジェルの影だけが見えている 。
さて、最終的結論はどうにかこうにかイッツオールライトであったわけだが 、多くの人々が納得できないのはやはり、星夜やデューイの引き止めるのをふり きってナースエンジェルに変身してしまうりりかの行動についてであろう。東大 アニ研の日下部氏は次のように指摘している。「『じゃあ、お前を好きな僕たち はどうなるんだ』または『誰も犠牲になるなって言ったのはおまえじゃないか』 というものがあるが、これが少々ひっかかる。作品では(りりかに)無視されて いたし、この問に対する有効な解答がどうしても出てこない。」
非常によい点を突いていると思う。これは明らかにナースエンジェルとして のりりかの限界点なのである。記憶を消し去ったからと言って、彼等が救われる わけではない。いや、むしろ他人の中の自分を消し去ろうという行為は、思い上 がりも甚だしい。大好きな人々の人格を踏みにじっているとさえ言える。彼等が たとえ悲しみの業火に焼かれ続けようとも、りりかの記憶を失いたくないと思う のは、火を見るより明らかだ。では何故にりりかはそのような非礼を決してまで ナースエンジェルにならなければならなかったのか。それは、りりか個人にとっ てそうすることが最優先の絶対命題だったからである。彼女の内面に根差すなに ものにもかえがたい想いが、そうさせている。命を捨ててまで守りたかったのは 、何なのか。少女が本当に大切にしていたものは、何であったのか。星夜の気持 ち、それすらも手の届かぬりりかの心理の深淵なる不可思議……それは実に、「 ナースエンジェルSOS!」第一話から延々繰り返しフィルムに焼き付けられて きたものである。「りりかは普通の女の子」であるならば、恋するりりかは、他 の何にもかえられない彼女自身のかけがえなきレゾンデートルなのである。女の 子は恋に盲目的に生きる。りりかは、すがたかたちはまだ幼くても、女であろう としているように、僕には見える。
りりかの内面に女を感じたのは、実は僕も最終回に至ってようやくのことな のだ。あのバースディパーティの後、夜の帳の中でスーツ姿の加納先輩をみつけ たりりか。「来て下さったんですね。」りりかは、加納の胸に顔をうずめ、しが みつく。ああ、どうして今まで気付かなかったのだろう。りりかは加納先輩のこ とが好きなのだ。いや、そんな単純なことは初めからわかりきっていたようにも 思えるが、しかし実際はその事実の重みを理解してはいなかった。一体今までり りかの何を見てきたのだろうかと、僕は思った。りりかは加納先輩に命懸けで恋 をしている……それはまぎれもない事実なのだ。りりかの内部に眠っていた女が 、あの逢引の瞬間、全て外へ出ていたんじゃないか。ロングでとらえる二人のラ ブシーンは、加納の意図はともかくとして、大人のそれであった。小学四年生の 女の子にだって、大人に負けない感情は眠っている。多くは唯それに気付かない だけだ。りりかは加納への重い愛を背負ってナースエンジェルを演じ続けてきた 。全ては愛ゆえの献身であったと、初めて気付かされたのだ。
そこで第一話からLDを引っ張り出してきて、順繰りにりりかの心の動きを 追ってみた。初めて加納に出会ったシーンは言うに及ばず、そう、あの時もあの 時もりりかは、加納に言われたからナースエンジェルになって敵と戦っているの だ。何故、加納がダークジョーカーの魔手に陥った時、あれ程彼女が躊躇し戦闘 不能に陥ったかを、もはやあらためて探る必要もない。りりかがナースエンジェ ルになるのは、ひとえに加納へ寄せる愛を貫く為、その一点に他ならない。もし 反論がある人がいれば、僕は全力で喝破する。りりかが恋していたのは加納だけ だ。ダークジョーカーとなった加納にエンジェルエイドボムビームを撃ち放てた のは、フラッシュリュージョンによって時差的によみがえった本当の加納の言葉 に従ったからに他ならない。そこに、りりかが本気で愛した人の姿があったから 。だから、立ち上がる勇気も、戦う気力も、全てりりかの内に潜む燃え上がるよ うな女が炸裂したものであったんだろうという、最終結論に到達する。やはり、 りりかはすごい話なのである。
かくなる結語から最終回へ目を移す時、自然に、りりかの心の動きは伝わっ てくる。りりかは加納に、「君の命が欲しい」と涙を流して言われた。しぼり出 すような、苦しみに満ちた声。彼が、りりかの為に泣いている。泣きながら、懇 願しているのだ。りりかは、ああ…りりかは、生きていたくても加納への絶対的 な愛を裏切ることなどできるはずがない。りりかが普通の女であればあるほど、 その苦悩は深い。決定的なのは、愛する人に命を差し出せと言われたことだ。り りかは加納から一度も愛を返されたことも無く、ただ一方的に想いを寄せる関係 にあるが、かるがゆへに献身はより高まるのだ。惜しみなく愛は奪いゆく。りり かの10才の日常の日々もほとんどがダークジョーカーとの戦いに費やされたが 、11才の終止符をも受け入れられるのは、彼女が加納先輩のことを好きで好き でどうしようもないくらいに好きだからに相違ないのだ。それでなくては、どう して他の女に深く心を寄せ続けているような男の言葉を信じられようか。加納先 輩がヘレナ王女の忠実な愛の下僕であるカノンと知った上で、りりかはずっとナ ースエンジェルになり辛い戦いの運命に耐えてきた。それが、彼女自身の想いの 貫き方であるから。もはや如何にしても星夜には太刀打ちする術がない。りりか は星夜に、燃えるような恋をしていないのだから。
勿論、救いはあるのだ。りりかと星夜の10年に及ぶ幼馴染みとしての絆は 、それ自体固いつながりを持っている。あり意味で星夜の存在は、りりかの人生 そのものでもあった。幸福な日常の中、いつも側には星夜がいてくれた。りりか にとっての星夜は、生きていく上で、人生の思い出を紡いでいく上で、不可欠な 存在であることは彼女もきちんと認識しているのだ。最後に残された緑のワクチ ンを星夜の為に使ったのも、そうせずにはいられない日常世界の中のりりかが居 たからだ。星夜君というナイトは、りりかの心の支えなのである。失うことなど 考えられもしない、最も近しい肉親的愛に満たされている。そのことは誕生日に 一緒に吹き消したろうそくのあかりが全部知っている。だけど、だけどね、りり かの内に点いた苦い恋の炎は、嵐が過ぎ去るまで、肉親への愛情も親しき者達へ の友情も犠牲にして尚、燃え盛る。星夜があの丘でどんなに声を枯らして止めて も無駄だ。もしあの場所でナースエンジェルを止められる者が居たとしたら、( そうすることはありえないが)それは、加納先輩だけだったってことを理解しな くてはダメなんだ。りりかとはそういうプライベートな愛の物語であったんだか らね。
本論で僕は、りりかが自己犠牲によって地球を救おうとした行為を正当化不 能として、いったんは非難した。りりかがわずか11才の人生にして世界の為、 家族の為、友達の為に命をなげうったのだとしたら、それは美談として処理でき ない不服を伴うものだ。どうしても。けれど、そうではなかったのではないか。 りりかは、抽象理念としての正義の為に戦ったのではなかった。正義の心を信じ るんだと愛する人に言われたから、従順にその通りにしてきただけだ。そこには 、ごく普通のどこにでもいる女の子と変わることのない、あたりまえの心理が宿 っている。りりかの中の女の情念が燃えたぎる時、正義の為ではなく、りりかの 内心におけるプライベートな真実の為に、彼女は彼女自身の人生の行方を選択す る権利がある。それが死をもってあがなう人類の為の献身であったとしても、な んら欺瞞は存在しない。純粋で、美しいものだ。何ものによっても覆されぬ人の 心の真実だ。他社の踏みいるすきの無い、愛の形だ。加納は徹頭徹尾ずるい男だ が、そのことをもってしても、りりかの心の中の崇高さはけがれることはないで あろう。加納先輩への純愛を貫き通した一少女の愛の物語なのだとしたら、僕は 、どれほど他の者の気持ちを裏切っていようとも、甘んじて受け入れるつもりだ 。そういう形で、りりかは作られている。間違いなく。
クィーン=アースは復活した。王女ヘレナは病も癒えてベッドから起き上が り、たおやかな笑みをたたえる。カノンは彼女の元に戻るだろう。りりかの悲恋 は破れるべくして破れる。星夜は、ずっと彼女に連れ添っていくだろう。やがて
もう10年もしたら、二人は華燭の式を挙げることだろう。そうして、子供がで きて、その子が10才の年になった時、ふとりりかは思い出を振り返るかもしれ ない。あの、10才と言う非日常の時間は何であったのだろうか、と。それは加
納先輩に恋することで始まった。人を愛することの悲しさ、苦しさ、と同時にナ ースエンジェルとしての哀しみ、苦しみ、最後の決断。想いは断ち切られ、日常 に帰って今ここに自分が居る。自分と星夜の愛の分身も、やはり同じ想いを辿る
のであろうか。けれど、誰しもが人生の目覚めのどこかでその通過点を体験せね ばならぬものだとしたら、未来を自分の手で引き寄せる為に、敢えてその非日常 性の中へ進んで飛び込んで行くべきなのかもしれない。りりかは、星夜の帰宅を
待ちわびながら、あの日の自分と同じ年になった愛娘の為に夕食を作る…………
りりかの最終回論がみたいと言って くれた、僕の友達へ
あとがき
いったんお蔵入りとなった原稿を、私費を投じてまで世に出したいと思った のは、その内容が「りりか」であったからである。りりかでなければ、ここまで はしない。僕は狂っているだろうか? いや、多分、狂っているだろう。普通の
精神状態であれば、こんなに無理をして今ここであとがきを書いていることはな い。りりかの涙が、命乞いの言葉が、僕を狂わせている。あの時、誰も彼女に救 いの手を差し延べてあげられなかった苦悩を、今でも引きずっている。りりかは
死んではならなかった。奇跡の時間も、死に迫りし少女の内心の独白にはかなう べくもない。りりかが対峙したものは、人間が生きる意味ギリギリの、答えを出 すことの出来ない命の選択だ。彼女がそれを自分の意思で選んだことに、未だ承
服の言葉を持たない。胸がかきむしられそうだ。奇跡を持たない我々は、りりか の行動から何かを引き出すことは出来ない。与えられているのは、生命。自ら選 ぶ権利は、ヒトに許されているのだろうか? 世界は、人格の内的照射によって
のみ存在し得る。りりかが消えることは、世界が終わることと同義であって、こ れより後に地球もクイーン=アースも存在できない。それでも彼女が行くという なら、せめて愛する人の胸の中でおもいっきり泣かせてあげたい。りりかが救お
うとしたのは、自分自身の愛であったというここでの結論は、そういう極限的状 況の中で引き出している。りりかは愛の究極を体現した。そういう形で、この胸 の内の苦しさを押さえようと僕は努力している。
ナースエンジェルの物語は極めて重いものであった。シンフォニーによって 彩られるよどむことのなきシリアスさは、見る者にかなりのプレッシャーを強い る。戦いの悲愴を描いた少女アニメーションは、近年にない異色のドラマ性を世
に投げ掛けた。りりかは主人公が作品中で死ねることを説得するだけのリアリテ ィを持っていた。毎回、負けることを連想させる戦いの記録、これらはひとえに 命の重みを語る為の準備的な積み重ね作業に他ならなかった。戦うヒロインとし
てはあまりにも絶望感に包まれた戦闘の描写と、対置されるりりかの明るい日常 性、幼馴染みや優しい友達やあたたかい家庭にめぐまれた幸せの風景。相反する 二つの世界のコントラストは、一種異様な雰囲気を放っている。守りたいもの、
救わなければならないものをゆるぎなく描破しながら、何故戦うのか、その理由 を見出すためなのか? いや、ちがう。りりかにとって、戦いよりも、友達との たわむれの方がメインテーマであるのは間違いない。強引に彼女を悲愴な命運に
ひきずりこむものは、ひとえにナースエンジェルという戦闘力を持った愛と正義 の象徴が抱く矛盾性そのものである。りりか自身が生きる為の真実の中に、ダー クジョーカーと拮抗する力という影は、内在している。生命体である限り、破壊
と再生の衝動は逃れることのできないヤヌスとして、永遠につきまとう。そこに 、りりかが訴えかけたかった生命の重みというテーマが存在するように思う。重 さを知る為には、失うものの悲劇が力強く描かれなければならない。人類の為に
十字架を背負った彼女は、自らの生命の拡散という形で、これを体現して見せて くれた。かなり完璧な形で。目覚めるか否かは、あと、受け手の洞察力にゆだね られているであろうという触感だ。りりかの苦悩はまた、我々自身の生命の矛盾
にまつわる苦悩と同じものではないか。それは、かけがえのない命を守る為には 戦いを避けられぬ命運を、暗示しているようだ。せめて、奇跡を信じるならば、 人類は永遠におびえる死の影から解放されるのかもしれない。りりかが生きてい
たラストシーンに、絶望の中の一条の光が、見える。生きることを許されている から、ここに横たわっていられるのだ。
ナースエンジェルは、常に僕らの背後で奇跡の時を待ち続けている……。